河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

本能寺の変 信長自作自演 命をかけての大芝居

 織田信長は天下統一直前にほぼ丸裸で上洛、本能寺にて腹心の家臣明智光秀に討ち取られた。その後、豊臣秀吉の軍団に大山崎の戦で光秀自身も敗れ天下統一がほぼ秀吉によってなされたと云うのが歴史上の常識とも云える。この当たりの歴史は先のNHK大河ドラマで描かれて皆さんご存じの所であります。
 しかし、先日亀山城を訪れる機会があり城や町づくりを具に観察している内に、何故斯様な要衝に信長が光秀に城を築かせたのか。後ろから我を討てという陣を光秀に任せたのかという疑問が湧いてくるのは私だけでは無いでしょう。帰宅後色々と頭を悩ませていたが、4月1日早朝に古老が枕元に立ち「あれは、信長と光秀の大芝居よ。秀吉がいずれ天下を取るだろうが、彼奴は私情に弱きところがあって長続きはせぬ。ならば、ここは信長が光秀を使い討たれ、一旦は猿に天下を取らせ、後に徳川にこの国を託すための大芝居じゃ」と語り消え去った。なぜが後ろ姿が出口王仁三郎氏に似ていた気がする。
 大本教本部

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 正月中旬、友人の偐家持氏から常照皇寺の櫻見物に輪行しようよと云うお誘い。メニューをお聞きすると、京北町のウッディータウンとやらまで車で行きそこからの銀輪行と云うから、病上がり同然の愚僧にとっては何とか走破できそうな行程です。ならばと、賛意を表明すると前泊を亀岡駅前のホテルで、同日亀岡市内を散策するという願ってもない再提案に諸手を挙げて賛成としました。後は、時を覗いつつ「櫻」と「好天」が重なる予報の3月29日決行となりました。
 亀岡駅 サッカーのスタジアム建設に合わせて全改築

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 亀山城は10年ほど前に一度訪れています。しかし、先の大河ドラマ効果か光秀の銅像が建ったり、一部公園化がなされたり若干雰囲気が違うが歩を進める内に記憶も目覚めてきます。
 光秀銅像

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 今回までの偐家持氏との輪行は、ファンカーゴMTB二台積んで同サイズの自転車で走るパーターンが多い。従前は(13年前と偽家持のブログにあるが)偐家持氏がトレンクルという小径、愚僧がキャノンディールというMTBの「2+2」という少しいびつな取り合わせでした。しかし、今回ファンカーゴをALTO STATION WAGON 660に交換したため積みきれず、されどMTBを分解して積むほどの技量もなく、普通サイズのStationwagonにMTBとトレンクル積載となりました。
 「2+2」スタイルの輪行です

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 光秀の銅像前で偐家持氏とは別行動に、氏は後亀山城内と大本教本部内見学さらに桂川の観桜等々に行かれたようです。
 大本教について(代表取材)

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 亀山城内(同)

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 桂川 夏目漱石虞美人草」碑(同)

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 桂川の櫻(同)

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 等々輪行されたようです。よく働く部下を持った根性悪デスクのように、幾らでも出稿できるというのはありがたいことです。この手法は常照皇寺でも大いに発揮します。

 さて、愚僧は偐家持氏と別れ城を取り囲む様に配置されている町並みと、惣構土塁という築山を巡る輪行へ出発です。塩屋町魚屋町と見るからに名が体を表す地名が続きますのは城下町の特徴でしょう。どの辻も角があるか突き当たりというのが、臨戦時の総構えの町並みですね。
 魚屋町看板

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  大和の国三輪山麓に鎮座する大神神社の祭神である「大物主大神(おおものぬしのおおかみ)をご神体とし、能楽「三輪」の後シテの女神像で表しているとか。柳町と本町の交点辺りに十一メートル強の三輪山鉾の小屋があります。高さなどから京都祇園祭にひけを取らない立派なモノでしょう。
 三輪山山鉾

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 やがて亀山城の西端当たりに出ますと生響寺に。寺脇の総濠の外側に足軽屋敷があったと云いますから、濠よりも足軽の方が扱いが下だったのでしょうか。
 亀山城総濠跡

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 亀山城は内濠外堀そして惣構土塁と三重の構えでした。それぞれ今も下水道等に活かされていますが土塁跡は公園にもなっていました。京町天満神社には土塁跡が公園地内に残っていて、幼児が登れる良い築山ですね。
 天満神社内の標識

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 公園になっている土塁跡 奥建物の右横遊具の奥に土塁が見えます

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 ここで本日最後の写真は「京都新聞」です。関西では神戸新聞と並んで独立系新聞社として朝夕刊を出していますが、夕刊紙はほぼ朝刊と同じ内容です。印刷体制と配達体制維持のため無理矢理出しているのでしょうか。阪神震災等では神戸新聞社が印刷不能となったので、京都新聞が代替印刷をおこない、地域新聞の重要性を再確認しました。
 創刊140余年の京都新聞受箱

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 気が付くと、大凡50年ほど前の通学時に烏丸通で毎朝のように市電から見た京都新聞社社屋を夢で見ていたようです。夢から覚め本項出だしの信長と光秀そして秀吉から家康へとの天下の変遷を信長自身が考案し実現したと云うことなど既に忘れつつ、輪行記を真剣に打っていますが、農水省のように「一太郎」ゆえ誤変換がありましたらご容赦下さい。

 死んでこそ 天下を定める 信長が    <偐山頭火
 ワープロの 仕業ではない オツムの差  <偐ワード>
 日経の お家芸です 詫び無し訂正    <偐電子化新聞>

一見はまりそうな詐欺

 詐欺の由来はなんと、古事記の「因幡の白兎(しろうさぎ)」の話から来ているという。
「白兎(しろうさぎ)」のことを昔から通称「さぎ」と呼んでいたそうで、この話をもとに「詐欺」という言葉が生まれたというのだ。「詐(いつわり)欺(だます)」という漢字があてられたのは後のお話と、ネット検索で出たが諸説有るかも知れない。
 これは、思わず釣られそうに

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  最近の詐欺は「電話」や「ネット」が主な手段という。我が家には金に困っている家族はいないので、「オレ、ワタシ」を名乗る輩には先ず引っかからない。還付金の話は、以前もお話を書いたことがありましたが、悪を釣りかけたことがありましたが時間切れで諦めました。
 ターゲットはアマゾンに絞られる

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 ネットの料金に関しての詐欺では、カード情報を抜き出そうとする手法が一番多いようですね。これだとごっそり金になると悪は見越しているのでしょう。手当たり次第にメール・SMSに送信しまくり、一山当てたらごっそりと持って行かれるのでしょうか。

 その2

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 デジタル庁とかを設けるという政府ですが、マイナンバーカードを保険証代わりにと云う大目玉も開始早々延期とか。職員を募集していますが、飛びっきり頭の良い悪を採用すると、世の中の詐欺グループが減るかも。しかし、悪は外国で詐欺集団を作っていると云うことだから、国ごと買い上げる必要があるかも知れませんな。

 白ウサギ

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 今も昔もさぎしがは忙しい。

 

 詐欺師でも 鷺の立場じゃ オレおれじゃね <偐山頭火

 

姉の墓参に

 大和郡山市内の金魚池で浮かんでいるような小高い墓所です。真横に古墳の後円部のようなものがあるので、墓所は前方部もしくは陪塚だと勝手に思っています。若くしてお亡くなりになった姉(私からは義姉)は、非常に身も心もお美しい方でした。いわゆる「美人薄命」と言われても、ご本人は長生きしたかったと仰るでしょう。
 金魚畑の中

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 雨のため私は駐車場で待機とします。以前狭い墓所内でお墓の位置が分からんと迷い子になられた愚妻も最近は、素早くお参りが出来る様になりました。でも少々お時間が、と思っていると墓石の周りの雑草をひいていたという。
 ここから斑鳩までは数キロです。Nちゃんの入学祝いをいただいた愚僧の知人宛に、苺をお返しにと予約に安村農園へ。いつも通り古都華を4箱、来月初めの佳き日に届くようにお願いしました。数箱を土曜日に来るというKy君達にも土産、我々は最低ランクを一箱。安村さんに近況を聞くとK百貨店が同農園の特大の古都華を一粒千円で売っていたと、評価が嬉しい反面ぼやきとも嘆きとも聞こえます。
 古都華一粒が千円とは(写真は普通サイズ)

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 ここまでは小雨が降っています。いつもの単独行なら芋かおにぎりで昼食ですが、お彼岸のお参り帰りには少し華が欠けます。そこで、香芝の「卯の庵」で食することに。何故こんな場所に斯様な料理屋がと思うほど良い料理を出します。(私見
 卯の庵

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 本日は愚僧は「ひつまむし」、愚妻は「籠盛」というアラカルトでしょうか。高齢者講習を受ける身になってもひつまむしは初見でした。関西から東を見下しているわけではありませんが、名古屋料理?ということで看過してきました。
 ひつまむし

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 最初は鰻重、半分くらいから茶碗に盛って出汁で食するお茶漬け風の味。山椒や山葵がきいていわゆる「おいしい」分類に入ります。個室故お互いに、取り合って食べても世間体は気にせず済みます。
 三月中はお雛様

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 大凡一時間程、美味しい料理といただきながら姉のことを思い出し談笑。ネガな思い出には触れず、あそこの「肉料理」こっちの「温泉」と楽しかったあれこれを語り尽くし帰路に。玄関では大狸が正座もせず横着なかっこうでお見送りしてくれました。

 見送りの狸が横着ですな

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 彼岸過ぎ 金魚畑で 姉の影 <偐山頭火

トレンクル退院

 多分二台ある内の1号だと思いますが、本日工房から退院しました。1号と呼んでいますので、古い方だと思うのですが通院だけで治った2号より剛性感や走りの軽さが良いと感じました。幾ら小型といえパーツの数は普通車と同じ、精度の点では普通車以上を求められるでしょう。それらが上手く調整されて退院してきたのだと思います。
  天野山金剛寺楼門

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 走りを試したのは工房近くの女人高野とも云われる天野山金剛寺の境内でした。工房のご主人にお尋ねしたら、前の道をひたすら走ったら金剛寺へ着くが道が狭いし櫻には早い。とのこと、車は小さいので大丈夫でしょうと入院費用を払って後部席へ積み込み出発です。なるほどクネクネした道ですが約15分ほどで覚えのある街道に出ました。南大門内の駐車場へ車を入れてトレンクルを降ろして山内を縦断して総門前へ。
 総門です

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 ここで昼ご飯です。本日はおにぎり無しでサツマイモ、バナナそして大型の柑橘類。最近柑橘類を沢山戴くので、何がなにか「不認知」で帰宅して確認すると「不知火」とか。上着無しでも寒くなく、むしろ陽気で快くなります。総門の櫻が一番良く花を咲かせているようで、満腹、眼福です。境内を流れる西除川源流にそって走ります。
 北朝行在所あたりでしょうか

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 南北朝時代に両方の行宮があった寺として白洲正子も「かくれ里」で訪れています。川沿いに北側が「北朝ゾーン」南側が「南朝ゾーン」と云う構図もなんだか洒落に通じますね。
 南朝行在所

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 政争の接点に生きたお寺としては斯様な結果となったのでしょうか。それもまた文化財となっているのも、政治的には多様性な我が国の文化でしょうか。時代が少し下ると敵方を抹殺するのも我が国でもありますが、本日はそのような無益な殺生は忘れ楽しい退院そして五分咲きほどの櫻花の軽いサイクリングでした。

 軽快な 銀輪の先 桜花見る  <偐山頭火

トレンクル負傷

 我が家の小径自転車トレンクルが負傷しました。一台はタイヤがすり減りパンク、応急処置はしたものの、町の自転車屋では手に負えないので何処かで処置をとの仰せでした。その内にと思っていましたら、寅1号の冬用タイヤ交換にY社T氏が来られるというので、同車に搭載していたトレンクルを下ろしてお持ち帰りいただきました。
 すり減ったタイヤ

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 久々に下ろしましたので車体の点検を兼ねて洗車していると、妙なものがぶら下がっています。その先を見るとスポークの穴が在るものの支えが無い。小径自転車ではよくある故障ですが、致命的なアクシデントにもなります。友人の同じトレンクルがスポークはもとよりタイヤをはめるリムまでひん曲がって、タクシー退場した事故を思い出します。
 スポークがリムと繋がっていません

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 そこで、本日斑鳩方面へ古都華を注文に行く予定でしたが、行き先を変更河内長野市まで二台を積んで出掛けました。田舎町のさらに僻地のような場所にトレンクル専門の工房赤松があります。
 二台積みのALTO STATION WAGON 660

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 一度に二台も持ち込まれた赤松さん、少々お困りです。緊急処置できるものと入院を分けて貰って良い・・・との愚僧の提案でタイヤ交換なら本日出来るとのこと。勿論異存はありません。スポークについては、時間を掛けて他のスポークについても点検していただくことになりました。
 タイヤを交換

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 ひとまず当面の問題は処置できました。ならば、本来の予定通り大和を目指します。錦織公園との考えも浮かびましたが、金剛山がおいでお出でと呼んでいるような気がしました。石川を渡って観心寺へ。今回も大河ドラマ対策が功をなさなかったようで、誘致の幟が見当たりません。
 山門前で持参の弁当を食しました

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 国道310号と云うルートは久しぶりです。大阪側からは何度か峰を越えるようで急坂ではありますが、奈良側に比べてまだましでしょう。高齢者講習を受けた直後だけに慎重な運転で峠をクリアーすると紀ノ川沿いの風景が見事でした。
 310号奈良県側より

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 奈良県五條市に入り山麓バイパスを北上すると高天の表示です。集落へのコーナーに櫻と金剛山(?)の門柱が迎えてくれます。
 櫻と金剛山の門柱

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 高天彦神社へ車を置き、橋本院へ輪行です。主たるリアタイヤを交換したばかりですので、スリップに注意して軽く転がします。所謂、一皮剥がれるまで、本来の性能が出ません。
 木蓮が綺麗に咲いていました

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 集落を抜けて数百メートルも進むと橋本院の全景が見えて来ますが、まだ花は少なく寂しいものです。
 橋本院

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 でも、気の早い人達は集団で撮影に来られて、愚僧と入れ代わり去られました。小さな車に四人乗車しても全員マスク姿は少々滑稽ですね。と、批判する立場ではない愚僧ではあります。単独行の方もおられてロングレンズをあちこちに向けている後ろ姿を拝借です。中心の赤く写っているのは花では無く人影です。
 ピンが甘くてスミマセン

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 この後ですが、バイパス脇のいつも立ち寄るお店で野菜やサツマイモを購入しました。同店の棚に並ぶ古都華も一つ購入です。この辺りで役行者並に山を駆け巡る運転に疲れたのかギブアップ、帰路としました。帰宅後この古都華をいただきましたが、斑鳩の安村農園作とは似て非なるモノでした。中将餅の甘味でお口直しとしました。

 春の山 行者の真似は 寅にムリ <偐山頭火

 

木蓮とご紹介しました、高天神社近くの花は「みつまた」の間違いでした。お詫びと訂正いたします。アドバイスいただきましたhiromiさんありがとございました。