墓参も後半のレジャー部門に入ります。岡山から大山のある鳥取までは高速道路が十文字に走っています。我々は山陽道を少し戻り、倉敷ジャンクションから岡山道に入り北進、中国縦貫道経由で米子自動車道蒜山インターチェンジまで一気に北に走ります。
大山と蒜山でしょうか
ここから、一般道で大山の田園風景が眺めることの出来る御机集落に。ここからは大山南壁の沢崩れの生々しい痕跡と、蒜山三座等の紅葉そして棚田が眺められるポイント。竹下景子扮する姉「朋子」に小遣いを貰った中井貴一扮する「一道」は寺を嗣ぐことを拒み、写真家を目指して大山を撮影するためにここを訪れました。
御机からの大山
男はつらいよシリーズ32作(1983年口笛を吹く寅次郎)のワンシーンです。茅葺の小屋は農小屋で、撮影当時で70年を経過していると言うから、今では築後約百年ものですね。前面に棚田もあり自然の美しさに、一切れの松前昆布でも加えた様な味がします。
因みに中国地方は山田監督が好む風景が多いと見えて津山、備前など多くロケしています。今回はもう一箇所、44作(寅次郎の告白)でも啖呵売仲間のポンシュウと列車待ちのシーンで使われた若桜鉄道「安部駅」も訪れることができました。
鍵掛峠の大山 南壁の荒々しさを強調したつもりです
さて、大山はもう一箇所お后(今回はこう呼ぶことにします)の御所望である鍵掛峠にも。ここは名所らしく、沢山お見えですが陣地取りのつもりか脚立を置いて後ろで見張っている者もいます。先取特権でもないし、適当にずらして撮影しましたが、電車の撮影や飛行場でも斯様な連中が多い昨今です。
ブナ林も美しいですが、しばしば渋滞も
ホテルは数年前にも利用した大山ロイヤルホテル。所謂ダイワロイヤルホテル系列です。立地等は前回の旅行記にリンクを張りますが、設計時に何十年後かのランドスケープを計算し尽くしているのはお見事です。ホテルと山との間に建物がありません。部屋は山側、最上階のレストランは日本海の島根半島が眺望出来て、久しぶりのフランス料理も給仕掛の絶妙なサポートもあり肩も凝らずに楽しめました。風呂は温泉大学としては及第点としておきます。
部屋からの大山
翌朝は大山環状道路で東側からも眺望を楽しんだ後、日本海へ向けて下ります。この後山陰自動車道を鳥取市直前まで走ります。この間、はわい温泉、東郷温泉そして吉岡温泉等々温泉銀座のように名温が続きますが、帰路を考えて我慢のしどころです。
大山の東、名も無い展望台で嫌がる牛とご一緒
鳥取市直前で鳥取自動車道に入り、暫く南下して八頭(やず)町にて小休止です。その前に先に記した安部駅見学。
ポンシュウと寅が列車を待った安部駅
八頭町では道の駅「はっとう」で昼食と土産物を購入です。土産と行っても何のこと無いN、KzそしてKy君達への季節の梨などの果物、均等に詰め合わせて宅急便に依頼したら、自由時間です。
早速取り合い、 姉さんが弟に果物の名を教えているとか
若桜鉄道沿いの鍛冶屋(かじや)温泉での自由時間は最高でした。鄙びた温泉ですが窓越しには紅葉が、その先の線路を一両編成の電車が精一杯駆けていきます。
この旅の最後にもう一度紅葉を
そろそろ時間です、電車の駆けていった逆の方向へ走れば河内へ着くでしょう。で、今この様に旅行記を綴っていると言うことは無事に到着できたと言うことです。
大山にて
我は待つ 君が来訪 紅葉の山 <偐山頭火>
山頭火の句の個展を開催した収益を、仕送りしていた一人が河本緑石です。その緑石が、昭和八年に無念の事故で急死します。大山の宿坊で三朝温泉から来る緑石の来訪を待っていた山頭火は「緑石はまだ見ぬ友の中では最も親しい最も好きな友であった」とその死をいたみました。