河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

晩秋の斑鳩路から薬師寺あたりを 千年間は見ることが出来ない東塔の改修風景

  昨日は斑鳩路を走り、富雄川そして秋篠川と大和を北に向けて走ってきました。ここ暫くは、北から南へ下るルート(どちらにしても往復しているのですが)が多いので、何か景色が新鮮に見えます。法輪寺前へ車を置く前に土産を購入、和歌山産のミカンです。何故、大和で紀州のミカンとあまり深くお考えにならず、紀の川繋がり程度としましょう。
晩秋の斑鳩路の定番です

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 先ずは定番の、法起寺とコスモス。既に枯れかかっているが、ピンが怪しいカメラなので都合が良い。ご夫婦で水彩を描かれている、気になるが覗くのは止しましょう。やがて、大和郡山市街へはいります。
金魚自動改札機

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 金魚の電話ボックス以来この手の細工が流行っているのか、今回は自動改札機に納まっていました。街路の提灯様のボックスに詰め込まれているのもいました。金魚迷惑な話でしょう。

 やがて、奈良市内との接点にやって来ましたので秋篠川沿いに走ります。
堤沿いから薬師寺

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 堤防沿いに走っていますと遠くに薬師寺が見えて来ました。月初に走った時と少し違うと思いつつ近づくと、東塔の「御簾」と表現していました覆いが南半分が外されています。来年四月の落慶に向けて工程が着々と進捗しているようですね。
近くで見ると相輪もよくわかります

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 塔の先端部も顕わになってきました。近くではクレーンが唸りを上げて足場などを降ろしています。余程のことが無い限り今後千年間は見ることの出来ない光景です。巡り合わせか御縁でしょうか。

観光案内?

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 中門から覗くと若い坊さんが観光客相手に青空説法開演中でした。この坊さんが案内すると共に仏教の入り口を説明するという「青空説法」は高田好胤師が昭和24年から18年間行っていました。「観光寺院」の「ガイド坊主」とも揶揄されながら金堂と西塔の再建という現在の薬師寺の礎となった人です。天武天皇が発願し持統天皇が完成し、高田好胤師が蘇らせたといえますね。
一枚の田圃

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 線路を西へ渡って一つ北の踏切(西ノ京第2号踏切)を再び戻ります。そこには行き止まりの田圃が一枚(百坪程度)有るだけです。何故こんな場所に渋ちんで通る近鉄が踏切を付けているのか・・・

 推測ですが、明治維新東大寺などの檀家を持たない官寺系は年間経費(含年貢)を貰える(幕府から)ことが出来なくなります。加えて「廃仏毀釈」ですから財政は逼迫します。そこで、寺内の空地を農地として貸し出しました。そして、敗戦後の農地解放政策で寺地が民地になることに対応する形で小作権を買い上げたのですが、この農地は買い損ねたのでは無いか・・・と見立てました。

 この踏切を利用して多くの方が寺の中にあった田圃を耕しに往き来した名残でしょう。同様の問題は法隆寺でもあったそうで、買い取りに難渋したようですが、それが今も山内を自由に出入りできる理由とあれば、良いことを残した歴史遺産でもありますね。
一枚の田のために残された踏切から境内の紅 こちらからは人から見られていないかウブに見えます

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 農民渡しとして利用されていた「矢切の渡し」に似たものですね。踏切は「薬師寺の踏切」と歌謡曲にはならなかったようです。
唐招提寺大日堂跡

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 さて、次は唐招提寺ですが林に囲まれて外野からはあまり山内は伺えません。ならばと、寺を過ぎて線路西を北から南に走っていると唐招提寺「大日堂」跡という場所に出ました。何でも、奈良時代に仏様が奉られていたと言う看板だけですが町内のゴミ集積所になっていないようです。(蛇足ながら、仁徳陵脇では世界遺産になった陪塚がゴミ置き場になっていました
大日堂跡の標識

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 ぼちぼち日が西に傾き大和盆地に陰を広げてきます。ここから法輪寺までは約10キロ程度です。5時には駐車所も閉門されますので急ぎます。

     川を下るのは良いのですが、大和川との合流手前で法隆寺方へ西に向きを取ると矢田丘陵に向かってやや登りです。登り切ったら起点であり、終点である法輪寺の塔が見えてきました。

西日に映える法輪寺

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 その前に、法隆寺近くの誓興寺に立ち寄りました。今回のレポートを纏めるのに参考となった「まほろばの僧 高田好胤」の著者が住職を務めるお寺です。「新・法隆寺物語」の著者でもあり、五木寛之の百寺巡礼でも取り上げられている方です。
ヤリガンナで仕上げた柱です

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 勿論、鐘や呼び鈴など押さずに、山門前で手を合わせただけでした。同寺の本堂や山門も、法隆寺薬師寺の修復・再興に携わった宮大工の棟梁西岡常一氏の作であると聞いていましたので、槍鉋(やりがんな)で仕上げた柱の表面を確かめるのが目的でした。確かに節目をしっかりと残しつつつ処理された表面は、電気カンナとは違い千年は持つというしぶとさを秘めているようでした。

 晩秋大和
 大和路に 枯れコスモスの 寺めざし <偐山頭火