除夜の鐘とは・・なんて入り方が月並みですね。でも、その月並みから。「日本仏教にて年末年始に行われる年中行事の一つ、12月31日の除夜(大晦日の夜)の深夜0時を挟む時間帯に、寺院の梵鐘を撞(つ)くことである。除夜の鐘は多くの寺で108回撞かれる」とネットのお助けには出ています。さらに韓国でも撞かれると言うが、なぜ除夜の鐘かという答えには辿り付けないようです。
仏様もみな胸当てを新調され(九品寺にて)
人には百八の煩悩(ぼんのう)があると言われ、その煩悩を祓うために108回と言うらしい。でも、金・色・出世欲・車・MTBと数えるが、到底108迄は辿り着けない。この思想を考案した方は相当欲の深い人なんだと思うが病気と同じで、健康か病気かと先ず分類。頭の病気、頭でも目か耳の病気等々内容、分類に深入りすると数万程の(桂枝雀説)の病気があると細分化されるように、「欲」も細分化されていたのかも知れません。枝雀師匠風のマクラになりました。
マクラにしては少し堅い
前置きが長くなりすぎました。本年河内温泉大学のフィールドワークで訪問した「お寺」のなかから、釣鐘又は釣鐘堂を順に巡ってみようと思います。なお、それぞれの鐘を全て聴いたわけでは無いので、音色や御利益に関しては保証するものではありません。何の参考にも成りませんが、年末の暇つぶしに・・・
手始めは寺巡礼の番外の釣鐘饅頭の「釣鐘堂」から四天王寺参道にある、浪花名物です。
釣鐘屋では撞くものではなく、喰(空)ものです
一番手は四天王寺さんから。饅頭を喰ったついででは無いが、近いのでお参りしないわけにはいかないでしょう。西門と五重塔、門柱には転法輪があります。
四天王寺西門
四天王にはむき出しの釣鐘堂はない、覆いの中に入った鐘を撞くという形式。北の引導鐘・鐘つき堂と北鐘堂と相対峙して、伽藍の両耳をなす太鼓楼。もと刻を知らせる太鼓を鳴らすお堂であったが、再建の際に新たに北鐘堂と同じ黄鐘調の鐘を設け、大晦日には、除夜の鐘・招福の鐘が撞かれる。
北撞堂
二番手からは、ただ並べただけです。いわゆる順不同に付きご無礼の場合はお許しの程を。多分一番遠いだろうと言う算段で栄山寺です。紀の川と吉野川の境界に近い川沿いに、流れに沿って細長い寺域を持つこの寺は、養老3年(719)に藤原不比等の長男藤原武智麻呂が菩提寺として創建した。梵鐘は国宝ですが、多少不釣り合いな鉄筋コンクリートの鐘楼に納まっています。
国宝の音がする栄山寺梵鐘
同寺六角堂
三番手は高天寺橋本院。高天原伝説が伝わる、金剛山の大和側麓にある同寺は金剛葛城山系の秘境と言えます。奈良時代に元正天皇の勅により行基が開いたとされる高天寺の一つの院坊が今に残っています。山懐深く鳴り響き鐘の音は同院に伝わる十一面観音の救いの囁きを伝えるのでしょうか。年2回開催されるお彼岸落語会は、言葉の薬効かも知れませんね。ここは、今回再訪して参りました。
高天寺橋本院梵鐘からは笑いと福の音か
高天寺十一面観音菩薩像
次に紹介するのが九品寺です。御所市の葛城山山中に抱かれるように位置する、同寺には数千の石仏が奉られています。南朝方に味方し討ち果てた郷士や百姓の供養のためとか。ここも、数日前に訪れましたが寺住の皆さんが鐘楼内の整理をなさっておられました。少し粘って、ひょっとして試し撞き・・と期待しましたが無駄でした。私の心の品格が、「下の下」なんでしょう。
右は吉野から左は奈良市まで望む鐘楼
九品寺の定番「藁の塔」です
同じ葛城山系の少し北に、高尾山観音堂があります。この辺りには當麻寺、石光寺と名刹や花に特色を持たせた立派な寺院が多い中、高尾山観音堂は無住ですが、立派な観音菩薩立像で少しは知られた寺です。その観音堂脇に鐘楼があります。二上山の懐辺りから。高尾山観音堂、當麻寺の鐘の音そして石光寺の響きが三重和音の様にこだまするのでしょうか。
高尾山観音堂鐘楼
この辺で金剛葛城山系を越えて河内へ入りましょう。亀の背の急流沿いに大和川を下るとそこは大坂の陣主戦場です。その戦場跡に戦士や犠牲となった庶民を供養するのが安福寺です。本年、経年劣化と先の台風の被害で痛んだ鐘楼を改修されました。愚僧も幾ばくかご寄付をさせていただきました。
改修中の安福寺鐘楼
玉手山の谷の奥まった場所にある、いわば尾張徳川様の奥座敷のようなお寺です。試し撞きをさせていただきましたが、谷が胴のような効果を持つのかいつまでもよく響く音色でした。
改修なった鐘楼で初の除夜の鐘
次は少し南へ広川寺です。西行が「ねかはくは はなのもとにて 春しなん そのきさらきの 望月の比」と詠ってここで亡くなったとされる。西行が最後まで捨てきれなかった「煩悩」どおり桜が美しいおてらです。
広川寺鐘楼
西行庵への坂道
さらに中河内の中心部、信貴生駒山の大阪側に建つのが、八尾市水呑地蔵尊。大和・難波のルートの一つであった場所に滾々と湧き出る「弘法水」を奉る地蔵堂の脇に鐘楼があります。ここから、108の鐘を撞くとall Osakaの煩悩が吹っ飛びそうな立地です。大晦日は道路凍結の恐れがありますので、スタッドレスタイア装着の鐘撞き行です。
水呑地蔵からの大阪平野
響け府民にこの鐘が吹き払う煩悩
いよいよ最後は聖徳太子に戻り八尾の大聖勝軍寺です。崇仏派の聖徳太子が排仏派の物部守屋との戦いで「いまもし我をして敵に勝たしめば、かならずまさに護世四天王の、おんために寺塔を建つべし」と祈願して戦勝したことから、当寺の太子堂が建立された・・とある。同寺にはいまはそのような血なまぐさい痕跡は無い。太子の崇仏派も排仏派も、そんなことがありましたかと、クリスマスの後に除夜の鐘を聴いている。これでいいのだ・・とバカボンでは無いが、宗教対立も「煩悩」として毎年暮れに吐き出し清めているのが我々でしょう。
聖徳太子縁の寺で百八が鳴り終わる
和をもって貴しとなす
以上、今年の河内温泉大学の銀輪行を振り返りました。どれも楽しい旅でありましたが、温泉に関しては少し物足りない点が気に掛かるところです。来年は本学の建学の精神に立ち戻り、温泉行を中心とした研究活動を行いたいと思います。
くる年もよろしく(九品寺にて)
読者諸兄・姉に置かれましては誠に拙い内容にもかかわらず、ご継読いただき誠にありがとうございました。「くる年」においても、諸氏のご健勝とご多幸をお祈り申し上げて本年の最終項といたします。