河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

若草読書会「わが園に梅の花散る」盛会に

 50数年ほど前は小阪教会「聖書研究会」という名の集まり。我が河内温泉大学キャンパスの近くにある日本キリスト教団という宗派に属する教会。牧師が我が家の隣に住むようになり、それが縁となって私も通うようになった。愚僧がキリスト教を建学の精神とする学校に通うようになったのも、そのN牧師の影響かも知れません。以下、若草読書会のこれまでを少し辿ってみました・・・
 庚子五匹の置物です

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 何処にも同じような嵐が吹き荒れた時代がありました。教会改革派と保守派との板挟みになった牧師が教会を離れると同時に、私も含めた数人も教会を去りました。以来、50年間N氏宅に集まっては「聖書研究会」の続きをやっていましたが、いつ頃か聖書の研究はあまりしなくなり「読書会」に自然と名称を変更しました。当時集まっていたのは、私とI氏K氏H氏A氏と時間を見付けてはM氏等の男性で「青年部」に属していた人でした。現在の会場より少し北に在る小さな民家でしたので、今思えば元牧師夫人やご家族にとっては深夜に及ぶ闖入者は大変迷惑な集まりだったでしょう。
 梅花と小動物

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 その後、N牧師が現在若草ホールと命名する居宅を求められた頃(約20年前)から名称を「若草読書会」、会場を「若草ホール」と変更して、青年部に属した女性陣も参加するようになる。時にはN牧師を教会で見送った側の人も参加しています。N牧師の人徳でしょう。私は、年齢の関係で「青年部」に属する前に教会が割れたので、青年部でも無いタダの「日曜学校生徒」の「資格?」しかありません。
 ネズミのストラップ

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 20年ほど前にN牧師が脳梗塞に倒れ救急搬送された病院へは、職場を抜け出し真っ先に駆けつけました。一見したところでは、再起は不能かとも思うほどの症状でした。ご本人の強い意志と牧師夫人の強靱な精神と体力(この病は介護者の体力勝負です)の甲斐あって見事に復活されたのは、イエス・キリストの復活を思わせる奇跡であります。勿論奇跡など無く、本人と奥様の努力の成果です。
 飴ちゃん入りの巾着

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 しかし、少年期に小児麻痺を患い元々不自由であった身体に更に試練が。復活といえども左手しか動かせることが出来なくなり、日常は車椅子生活。ご本人と奥様にとっては更に厳しい困難が待ち受けていました。斯様な状態の中で、唯一動く左手で描く「絵」は見る人々に感動を与えないわけがありません。何度か紹介している、偐家持氏が主宰するブログで定期的に開催される智麻呂絵画展のコメント欄に寄せられる沢山の言葉がそれを物語っています。
 智麻呂氏近作画材は同人リチ女のプレゼント(偐万葉田舎家持歌集より無許可借用)

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 今回の新春読書会は、幹事役をしてくださっている偐家持氏がリタイアされて以来、氏のペンネーム通り同体化されている大伴家持万葉集がテーマと決まって(決めたわけではありませんが)います。今回は家持の父「大伴旅人-わが園に梅の花散る-」と言うタイトル。新年号令和の出所とされている天平2年(730)1月13日旅人66歳の新年、大宰帥大伴旅人)宅に集まり宴を開催した、その「梅花の歌32首并せて序」についての解説がありました。令和については今さら云うまでも無く、この序文に使われている「令と和」をくっつけたという国の説明ですが、令和が先にあり後付けでは無いかと云う質問に、多分そうであろうが詳しくは分からないとか・・・誰が決めたのかもよく分からないので分からないのが事実でしょう。年号としては初の「日本語」と言う説明が多いが、この梅花の宴の序文の手本に当たるものに王義之「蘭帝序」があり、出所としてはやはり中国由来とも言えるとのことです。
 大宰府にて旅人の歌碑

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 面白いのが「梅花の宴」の席順。当時を研究する人が考えたという二説が紹介されたが、やはり官位がもの言う世界であったようです。ただ面白いのは「上席」と「下席」の二群に分けて並んだと推考されるのが、歌の並びから読み取れるそうです。歌の題は「梅」であろうとは想像付きますが、即興で作らねばならないという条件があります。と言うのは先に詠まれた歌に関連が無いと座が白けてしまうという。この時代の出世競争は仕事の能力と宴会の即興和歌と言えば、現在のカラオケに通じるところがありますね。いつの時代もサラリーマンは辛いです。
 旅人の飲み友達山上憶良歌碑

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 さて、昨日の読書会では、メンバーの和郎女さんの手芸品が、恒例お年玉としてプレゼントされました。その作品を行間に挟んでご紹介すると共に、小万知さんからは可愛い「豆を背負った鬼」という何とも気の毒な鬼も頂きました。更に和郎女さんのお嬢様がパティシエとして活躍の美味しいケーキの差し入れ、偐家持氏の差し入れなる苺(さすがに凝っていて福岡産とか)で胃袋やリュックの中を満たして帰ることが出来ました。なお、一番活躍頂いたのがひろみの郎女さん、今回風邪で病休というのに昼食を車で運んでくださいました。差し入れや善意の出前(?)に「心からありがとう」と呟きつつ感謝して、昨日は手ぶらで参加した「バチ」として今日は「鬼」になり豆で討たれましょう。
 豆を背負った気の毒な偐鬼山頭火

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 梅林は 名のみしありて 枚岡の 春かまたけど 花の見えなく 偐家持

 註釈:①枚岡梅林は細菌蔓延のため全て伐採されています、コロナウイルスではありません②「かまたけど」は(かまたく=片設く)ある季節や時期をひたすら待つこと、転じて時移りその時期になること。近づくこと


 春の宴 友のみやげは ふる里の梅(はな) 恒郎女

 註釈:恒郎女さんは智麻呂夫人、大和御所の出身です。今回の宴にと愚僧が御所で求めた持参した梅を愛でた句をお作りいただきました


 鬼嫁に 豆まかれるも 鬼の面  偐山頭火

   註釈:不要