人間の場合です。人は亡くなり火葬すると「骨上げ」といい火葬場で直接自然に戻す骨とお持ち帰り用の骨に仕分けします。作業は火葬場の職員が丁寧に行ってくれます。愚僧が若い時「行路死人」を取り扱っていた時は月に一度程度は、火葬場で焼いて篤志家僧侶のお堂で預かって貰う仕事がありました。いわゆる行き倒れから、自死まで身元引き取り人のいない方のあの世への橋渡しをやるのです。
ハルカスと四天王寺塔
火葬場の叔母さんとも仲良しになって、色々な死にまつわる話も聞かされるのです。中でも、焼けた骨を見て何で死んだか。これを当てるという、確かに病死の場合はその患部が一色濃いので「胃」とか「肝臓」とか仰るので適当に会わせている。ある時、これはどうですかと振ると、焼けた骨をみつめてこれは、と首を傾げる。そのはず、彼は列車で轢死でしたので薬が蓄積するほどの変色がないのです。
四天王寺西門
さて、昨日は母の納骨でした。通常ならもう暫く家に置いておくのですが、諸般の事情が生じお寺とも相談の結果彼岸明けと言うことになりました。お墓の正面の石板をずらせて中の室にお骨を納めます。先客の親父の骨は30年前に入れたのですが、先日入れたような色形を残していました。骨太なのか、この世に未練があったのか。
この納骨は、端緒に書いた「骨上げ」に対する大地への「骨下し」でしょうか。
納骨後僧侶が読経をあげてくれます
納骨が終わったから、翌日は四天王寺へと言うことは全く関連がない。ただ、亡くなった5月以来の重荷のようなものが少し軽くなったという気分を身体で表すと、MTBで一走りという結果上町台地を目指しただけです。ですが、それだけではブログ的にはあまり面白く無いので道中のショット(含再掲)を重ねならコロナ禍対策も兼ねたファインダー観光をお楽しみ下さい。
田島神社(眼鏡発祥の碑)
生野区に入り平野川分水を渡ると田島神社があります。この付近が日本の眼鏡発祥の地と云うことにして、記念碑が建っています。確か奈良県田原本町にも鏡作神社なるものがあって、鏡作り云々と云っていますがこの際眼鏡と鏡は明確には別物としましょう。
めがね温泉なる銭湯
付近にめがね工場が多いなら、職人が入る浴場はめがねに叶う銭湯。中々の命名ですね、近くに歌舞伎温泉がありましたが今は廃湯になっています。店主が歌舞伎好きだったのでしょうか。暫く西へ進むと源ケ橋温泉があります。レトロな建物で保存云々と云われていますがこれも今は廃湯です。
源ケ橋温泉
更に西へ進むと目的地の四天王寺東門に到着。門下で暫し休憩ですが、道行く人の口元が気に掛かります。半々と云うことで、愚僧はマスクを排除としました。
東門で一休み
四天王寺伽藍の東から西へ左回りで半周することにします。この辺には何故か記念物とか、謂われのある祠等々が集中しています。西側に無いのはランドスケープを考慮しているのでしょうか。
猫門
生き物の中で一番スカンのが猫ですが、この門の猫は動かないので可とします。太子殿と云う建物の西門に居ます。動かないので番猫にもならないのですが、飾りとしてはサイズ的には猫が宜しかろう。犬も好きだった聖徳太子ですが、犬では大きすぎる。
番匠堂
聖徳太子は、日本に仏教を広めると共に、朝鮮半島・百済国より番匠と称される数多の名工を招請され、高度な建築技術を導入されました。大工・建築技術の向上、工事の無事安全を願う建築に携わる人たちの間でお祀りされるようになりましたと、寺のHPに。独特の幟で直ぐに分かります。
野沢菜発祥の碑
碑によると京都で修業を終えた僧が、故郷信州へ帰る時に大坂の菜を持ち帰った所、土地にあったのか沢山の収量を得ることが出来た。それを漬け物にしたのが現在伝わる野沢菜だという。信州の野沢菜が、大阪上町台地の産だったということらしい。
南大門から中門(伽藍)を望む
南大門前付近では大坂夏の陣の主決戦が行われたそうです。真田幸村はその後西門下の安居神社で果てます。戦い後徳川の手により寺は再建されていますが、四天王寺は運が無いというかよく火災にも遭っています。幾多の波乱の後、昭和20年(1945)の大阪大空襲により、六時堂や五智光院、本坊方丈など伽藍の北の一部の建物を残し、境内のほぼ全域が灰燼に帰してしまいました。多くの人々の努力で、昭和38年(1963)には伽藍が、昭和54年(1979)には聖霊院奥殿・絵堂・経堂が再建、その他の建物も次々に再興され現在ではほぼ旧観に復したそうです。
西門
四天王寺の坂を下るとすぐに海であったと云う創建時、その海に沈む夕日の先に西方浄土があると信じられました。今は、浜の波も見ることは出来ませんが遙か西海の極楽浄土信仰は紀伊和歌山の補陀洛山寺の海を渡り生き仏となるという信仰にも繋がります。本日は夕日までは拝むことが出来ませんでしたが、ここ暫く続く夕焼けに西門を重ねるシルエットの先に浄土があって、昨日納骨した母と30年前に同所に納めた父とが仲良く蓮の花を眺めていてくれたらと願います。
釣鐘饅頭
西門から天王寺駅方向へ数メートルも進めば、釣鐘饅頭を店頭で焼いている釣鐘屋です。釣鐘の形をした饅頭の中は漉餡です。愚妻が好きな漉餡は愚妻対策、骨を安置している間色々気を使わせた御礼にしては安すぎるというご指摘は当を得ていますが、本日思い付くものは他に無し。先ほどお八つに戴きましたがこれだけあれば暫く楽しめると、愚僧の財布を案じて至極お褒めいただきました。
中までぎっしりと餡が詰まっている釣鐘
帰路は上町台地の坂を東へ下るだけ、加えてここ暫く吹き出した北風に乗るとヨットで云えば追い風に乗って最高の帆走気分です。
途中今里で文楽煎餅もと思い立ち寄りましたが、日曜日はお休みの様子で次回としましょう。めがね温泉、歌舞伎温泉、源ケ橋温泉そして四天王寺山内の猫門や大工さんの社、野沢菜発祥の地碑と釣鐘饅頭と関西らしい洒落っ気のある「名所・名物」見物にお付き合いいただき感謝いたします。お口で楽しんでいただくことは出来ませんが、これこそ最大のコロナ対策とご寛容下さい。
千年の 歴史巡るも 18キロ 太子がいたり 歌舞伎文楽 <偐山頭火>