偐家持氏とホテルで合流した後、近くの居酒屋で夕食でした。本家持氏の父上は大酒飲みですがその偐息子さんは下戸でありまして、本来なら食堂を選択すべき所でありました。しかし、ホテルフロントにきいても皆さん飲み屋のような場所へ行かれるし、コロナの影響で食堂と云っても開いているところがないでしょうとのこと。飲み助の愚僧にとっては好都合で、久しぶりに御酒をいただく。オマケに土産にも麦酒をくれたのは、部屋飲みにと云う事でしょうか。亀岡の人は良い人です。
お土産の麦酒で寝酒
朝食はコンビニでサンドイッチを調達して何処か景色の良い所で、と走れども良い場所と思えば縁石に邪魔をされたり暫く彷徨う。国道とは名ばかりの477号を北へ分け入ると大きなダム湖に出る。どうやらこの場所でと云う天からの声でしょう。山間にあるため遠望が利かぬため黄砂も見えぬ、身近には緑の湖水と櫻花が映えている。老いた男二人での車内での何とも美味しい朝食です。
増水でオーバーフローする単純構造のダム
ダム湖を見物していると役所の車が来てUターンして帰る。点検か清掃なら一回りするのだと思うが。後に地図で確認すると「廻り田池」と呼ぶこのダム湖が南丹市と京都市の境界線らしい。何とも律儀な職員ですね、堰堤は各行政別にあるわけでなく一体なんだから一廻りくらいすればいいのにと思います。とすると、我々は既に亀岡市界を越えているようです。
廻池築造記念碑(廻池)が正式名でしょうか
廻り田池を水瓶として流域では多くの富を蓄えたのでしょう。ダムの沿革については偽家持の記述を参考にされたい。その水瓶を後に、さらに山道を進むと再び道幅が狭くなるが林間ドライブも又楽しい、なにせアクセルをふむ力だけでどの様な坂道でもグイグイ進みます。やがて京北周山町のウッディータウンに到着です。国道477号と162号の交点にあるいわゆる「道の駅」の一つで、行政の支所、各種売店、福祉施設、学校などが纏められている。
桂川岸から
昼食まではかなりの時間がある、しからば腹減らしとトレーニング代わりに走ろうかということでバイクを下ろします。ほぼ無風、快晴銀輪行には絶好のコンディション、どこまででも走るぞ!!とテンションは上がります。
いざ出発
しかし、どうもトルクが必要な道ばかりが続く、偐家持氏はご存じだったようだがこの道は高尾方向へ進むため急坂道の連続なのです。しかもトンネルが多くて長く、景色が悪くて息も苦しいと云うことですね。
京北トンネル
笹トンネル
この当たりでギブアップして起点に帰ることに、この様な状況下ではアイコンタクトのみで合意成立するのは老々銀輪行を長年に亘り続けてきてお互いの手の内が分かっている証。
昼ご飯は京北ウッディータウン内で
腹一杯食ったせいだけでは無く、愚僧の二脚のピストンは既にオーバーヒート気味で偐家持氏のみトレンクルで常照皇寺へ出発された。その後ろ姿を見送りながら、愚僧は「小豆入りソフトクリーム」を舐め舐めしつつ手を振る。ピストンリングへの潤滑油の様なものです。しかし、十分休みすぎたのかもうバイクで走る気は失せ、先行する偐家持氏を車で追い越して常照皇寺へと行くこととする。これを世間では「飛び級」と云います。
飛び級で偐家持氏を待つ
途中で追い越したのですが、そこでピックアップと言っても頑固な氏のこと何食わぬ顔してバイクで進むことでしょう。常照皇寺の門前には広い駐車場が設けられていて、参拝、見学客の殆どが自家用車で来るようです。庫裏までの道も整備されていますが、通行禁止と記されています。(熊野本宮大社、那智山などでは申し出ると案内してくれます)
この説明板の後ろが秘密の通路です
やがて偐家持氏の姿が最後の坂に見えて来ました、流石にもう走れんと手押しで登ってこられました。でも、千歳超にしては素晴らしい脚力です。
力走ではなく力押しで
常照皇寺は京都府京都市右京区京北井戸町にある臨済宗天龍寺派の寺院。本尊は釈迦如来。正式には大雄名山万寿常照皇寺。かつては常照寺(じょうしょうじ)と呼ばれていたそうだが、格式と箔を付けるためか皇付きで呼ぶ様になったのでしょうか。開祖は北朝初代の光厳上皇(天皇)で観応3年/正平7年(1352年)、大和国賀名生の南朝後村上天皇行宮にて出家し禅宗に帰依しここに常照皇寺を開いたと書物等にあります。
常照皇寺山門
光厳天皇の山国陵
常照皇寺の枯山水庭園
天然記念物九重桜
賀名生といえば、毎年のように柿を買い求めに行く五條の奥で南朝の皇居の看板がかかった建物もあります。1352年に光厳上皇(天皇)がここへ訪れたと云うから前年に足利尊氏が南朝後醍醐天皇に帰順した翌年と言うことになります。何ほどかの力のバランス上で操られていたのかも知れませんね。歴史にもしもは禁物ですが、北朝が続いていたら明治維新もその後の幾多の戦争の歴史も多少は変わっていたかも知れません。
吉野賀名生皇居跡(五條市)
さて、ボチボチ帰路としましょう。偐家持氏のトレンクルを車に積み込み出発です。勿論、京北ウッディータウンを経由して、見覚えのあるトンネルをくぐり高尾に差し掛かりますと山の南斜面一面に花が咲いています。山が一つの花のようにも見える景色に、暫し車を止めるも通行量が多くて車外に出ることが出来ません。知らぬ間に南北朝から令和の時代にタイムスリップしていたようです。
全山花だらけ
市内の二条城脇を走り、西本願寺、東寺と過ぎて阪神高速から第二京阪道を走ると、河内までは2-30分で到着です。昨日の起点喫茶ペリカンの家前で氏を下ろして愚僧もキャンパスに到着。明智光秀、織田信長そして少し遡った南北朝の歴史を櫻並木のように巡る銀輪の旅の終着です。また機会があれば是非偐家持氏との輪行のお供を務めたいものです。
京の北 奈良の南と 争うも 時はやがては 武士が天下に
<偐山頭火>