河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

道明寺

 菅原伝授手習鑑で有名な道明寺天満宮では無く道明寺を訪ねる。もっとも、天満宮は道明寺を高野街道で挟んでお隣ですが、今回は道明寺のみ訪ねることとしました。
 元々の目的は道明寺近くにある所を訪れて、屋敷の管理をするだけであったが少々汗をかき御寺で休息をさせていただくこととなったためです。前記の都合で何回か訪れていますが、正面から切り込むのは今回が初めてです。車を寺と天満宮の間を通る東高野街道沿いの駐車場に駐める。
  五線の塀

 御寺の塀は五線の印です。この線の数は寺の格式を表すそうで五線が最上各です。筋塀と云い、皇族が出家して住職を務めた門跡寺院の土塀の壁面に、その証として5本の定規筋を引いたのが始まり。そこから、定規筋の数が寺の格式を示すようになり、5本線が最高格式を表すものとなった・・と物の書には。
 道明寺は7世紀中葉に土師氏の氏寺として建立された土師寺を起源とした尼寺で、聖徳太子とも縁が深いとも。詳しくは寺の説明書きをご覧ください。
 寺の説明板

 用足しを済ませて太子堂の縁で汗を拭いているとカリンのいい香がして来ました。本堂との間に花梨が植えられていて、実も数個地面を転がっている。 花梨の写真を撮っていると真後ろが本堂です。十一面観音様が特に有名で、菅原道真が彫ったと云うが多分掘らせたと云うことでしょう。
 花梨の樹と実

 本堂の柱が変ですね

 そうなんです、花梨じゃ無くて麒麟が隠れているようです。先ほどの太子堂にも少々おかしい所が。こちらは、麒麟に加えて犬ですね。私の嫌いな猫じゃ無くてよかった。

 太子堂には犬です 土足厳禁に土足の犬とは


 菅原伝授手習鑑・・・土師氏の氏寺として建立された土師寺を起源とした尼寺です。土師氏の後裔である菅原道真公が、太宰府下向に際して伯母の覚寿尼を訪れたゆかりの地です・・・と簡単に略したら以上のようになります。
 
 朝の一番鶏が鳴いたら太宰府に向けて出立というので、この地で以後は鶏を飼わなくなったと云います。

  啼けばこそ別れもうけれ鶏の音の
         鳴からむ里の暁もかな

              と、道真は歌を残しています。

 四代目市川團十郎(1711-1778)が得意としていたのが「菅原伝授手習鑑」であったそうで。その関係から寄進されたものか、天満宮本殿向かって左にある手水舎の寄進者銘版の一番右端に「江戸木場成田屋」とある。成田屋は市川家の屋号で、舞台の役者に向かって客席一番後ろから**屋と大向うがかけられるそれだ。
  寄進した手水の拡大

 天満宮が本論で無いので、手水の一部写真のみ天満宮から拝借です。もっとも、私の写真ですので著作権に齟齬は生じません。今はコロナ禍で観音様を拝観と思うにもままならないようです。また再開となったおりには再訪することとしましょう。 
 山門遠景

  鶏が 鳴いて逢瀬の 別れかな
          東風がふく春 LINEで再会  <偐山頭火