40年来の共が彼女の夫の位牌のような写真と共にやってきました。夫君とも40年来の刎頚の友、女より男同士の方が、悪さ等をする分では仲良くなるというもの。高知の浜で釣りをするにも、餌つけと釣った魚外しは彼、愚僧はただ亡者になった魚を竿を出して待つのみ、と云った関係でした。また、彼は愚僧と共に元祖若草読書会の創設メンバーでもありました。
AZ女史 手づくりとか
そのA女子と私は同期、同期と云うのは同学年であり、教会歴が同じという意味です。宗教団体特に日本でのこれら団体は信者間の上下関係を「信仰歴」でつけているようです。そんなことない「皆平等」という方ほど、内心では信仰歴という堅い上下関係をお持ちのようです。(余談)
さて、AZ女史は昨年最愛の夫AZ君を、発病から僅か4週間で亡くしました。手術も入院も出来ないという末期がんの宣告を己一人で受けて、以後訪問治療を受けつつ意識が無くなる二日前までいつもと同じ笑顔を絶やさず逝ったそうです。ただ、愚僧には会いたいと云ってくれたのは釣り竿の先が今も気になっていたからでしょうか。今思えば愚僧も会いたかった。
無くなる数日前のポートレート
AZ女史が河内を訪れたのは、AZ家の墓所がありAZ君は祭られておらずとも、多少の管理という意味を決めた帰省。墓参の前に我が家を訪問してくださったと云うこと。当初は小料理屋と決めていましたが、愚僧の足が思うように回復せず、寿司などを運ばせた。AZ女史と我が愚妻は葛飾柴又を共に案内をしていただいた中で、「ぼけ程度自慢」や「孫自慢」等の話が弾んでいました。一枚目の写真は惚けて行方不明となったときのネームプレートらしく夫婦の分をもらいました。
AZ家の墓
AZ女史は本日墓参を済せ、今頃は東へ向かう車窓の人となっておられるでしょう。次お会いするのはいつの日になるかわかりませんが、三人共に病と仲良くして天寿を全うしようと別れた言葉を大切にしたいと思います。
友来る 位牌代わりの 良き写真 嬉しくも在り 悲しくもある <偐山頭火