旅人のこれから生駒の峠を越える直前の一休み、無事に峠を越えてきて大坂へ入る身支度客で賑わった事でしょう。また、河内は特に大和川が付け替えられるまでは「舟運」のロータリーの様な場所、京都までの荷物の移送も行われており、ここ松原もその中心的な役割も果たしていたのでしょう。
舟運は大和川の付け替えで「柏原舟」(大阪↔平野↔柏原)に役割を代わられました。明治に入り鉄路が出来て街道も舟運も、人々の記憶の彼方へ忘れ去られましたが、「落語東の旅」を持ち出すまでもなく、今もその面影を残しております。町にお住まいの皆さんも、歴史ある町並みを残そうと、努力されている様子が見てとれます。
街道シリーズお馴染みの味覚は石切参道の「寿々屋」のおかげ芋としました。トレンクルにての石切参道の登坂は少々度が過ぎますので、瓢箪山商店街の出店にて調達しました。午後には子供の顔を見せに来るという長男夫婦のお八つです。
写真:松原宿石柱と説明板(英田北小学校脇)、現在の地図、街道の道標と町並み二題、おかげ芋
おかげ芋
暗越へ おかげ参りの 行き帰り 芋の力で 一気噴射 <芋馬力>
暗越へ おかげ参りの 行き帰り 芋の力で 一気噴射 <芋馬力>