河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

お湯休め「北布施の続き 深江郷土資料館」

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 狐の予防接種を心配した日は、暗越奈良街道のポイントをなぞりながら東から西へ銀輪行していました。東大阪市御厨辺りから玉造方向です。落語東の旅ので出しを逆に向かっているようですね。河内温泉大学からだと、この道順になります。少し脇に逸れたのが「狐様の予防接種か」であります。

 また街道に戻りましょう。前回も記載しましたが、集落等のポイントでは残っていますが、旧道の全ては残っていません。江戸期に大和川が付け替えられるまでは、田畑・沼地・遊水池であった上に都市化が古道をかき消しています。他の旧街道でも同様であります。しかし、その痕跡を探しつつ辿るのがまた楽しいものです。今回、地名等が超ローカルになる事をお許しください。

 前置きが長くなりました、東大阪市御厨を東西に突き抜ける暗越奈良街道も、高井田で柳通と交差するところで消えます。「歴史の道暗越え」と石碑のある道が産業道路に斜めに進んでいる先はビルです。ここから、西に進むと「野崎病院」手前で再び復活し産業道路へ交わってきます。この間が少々「消滅」していますね。「纒向遺跡」クラスなら数十年かけて発掘するのでしょう。
 
 今回はここで一服です。産業道路を挟んだ野崎病院の北は、大阪市東成区深江です。「深江」と云うのも意味深長な名前ですね。多分、河内に湖があった事を偲ばせる地名です。この一角に「深江郷土資料館」が設けられています。古からの特産「菅傘」と昭和に輩出した茶釜製作者人間国宝角谷一圭」氏を顕彰するために。

 菅笠は「東の旅」では玉造から伊勢に向かう喜八と静六が、旅の道中笠に求めます。当地は「笠縫邑」という古地名が示すように菅傘を作る集団が住んでいたようです。伝統を受け継ぐ笠は伊勢神宮式年遷宮に納められ、大嘗祭儀式にも用いられると云います。その、笠を作る「菅田」の復元や、納めた笠等を展示しているのが「深江郷土資料館」です。土日祝日開館で、在館しておられた「Y」理事に丁寧な説明をして頂きました。

 写真:長瀬川との交点、街道筋の社、歴史の道暗越え碑、野崎病院前碑(万葉歌下記参照)、近くの街道標識、深江歴史資料館と冊子、儀式用大型菅傘等展示品

 東の旅
 伊勢めざし 深江で菅傘 二人の旅 夢が叶いて 三十石舟で <偐添乗員>