河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

四十八人目の義士「萱野三平」旧邸長屋門

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

 「季節ネタ」という言葉があります。事件や事故が無い平穏な時は、マスコミ人は紙面を埋めるために苦労します。白紙の新聞やテレビのテストパターン放送だけには出来ないので、どうしようも無い時は、引き出しにしまって置いた**に花が咲いた等という季節もの、時節もので紙面を埋めます。埋め草とも言いますが、近頃は何か一つトラブルがあると、つぎの標的まであれこれたたき伸ばしてネタにして 使うので埋め草不要です。相撲の暴力事件など格好の標的ですな。

 十二月の季節ものとしては、三百十六年間何度もたたき伸ばされて使用され続けてきたのが「忠臣蔵」です。我がブログでも幾度か話題にさせていただいております。「仮名手本忠臣蔵」の文楽や歌舞伎でも千や万の上演回数では無いでしょう。シェークスピア以上の世界最高上演数になるのでは無いでしょうか。それだけ、日本人の忠義という琴線に触れるテーマでもあり勧善懲悪という単純な構成でもあるがゆえでしょうか。

 表題の「四十八番目」という分類では、諸田玲子による歴史小説「四十八人目の忠臣」が有名ですが、ここでは、萱野三平という忠義と一族の存亡の板挟みとなり、自刃という形で志を遂げた人物です。彼は浅野内匠頭切腹を国許へ告げる早駕籠で、江戸から赤穂まで僅か4日半で走破しました。途中母の葬儀にも出くわすがそのまま駕籠を急がせたという、全くもって見事な演出まで揃っています。

 自ら仇討ちに参加しては、自身を浅野家へ推挙してくれた恩人や一族に累が及ぶ、しかし禄を食ませていただいた主君への恩義がある・・・と悩んだ三平は実家の長屋門の一室で主君の命日(月)に自刃して果てます。「晴れゆくや日ごろ心の花曇り」という辞世の句を残して。享年二十七歳でありました。彼は、俳諧師としても高名で「涓泉」(けんせん)が俳号。今回訪れた箕面市の旧邸には管理棟が設けられ「涓泉亭」と名付けられています。旧居は明治時代に取り壊される危機があったそうだが、長屋門と土塀は残され、現在は大阪府指定の史跡となっています。

 写真:西国街道と旧邸、涓泉亭入口、屋敷内、辞世句碑、墓所&説明

 忠か孝か
 赤穂へと はやかけて死ぬ 三平が <偐山頭火