啓蟄を思わせる本日、前回の「御所の高鴨神社で鴨南蛮を食し雪道を走る」の続編というか、見残しを。前回は期待通りの降雪で、スタッドレスタイヤの効能を十分に楽しめるドライブでしたが、どうしても車では入れなかった場所がありそこを見学して参りました。そのうち二カ所をご紹介します。
本ブログの読者であります、Y自動車さんのT営業課長から「どうでした、スタッドレスの感想は」とダイレクトに思わぬ反応も入りました。確かに雪道を走っているという感覚がないと云えます。車にも横滑り防止機能が付いており、全く危ないという感覚はゼロでした。しかし、本日御所の高天原の橋本院へ向かう道ではタイヤがスタックして真横へ滑り溝に落ちた痕跡もありました。もっとも、道幅とタイヤ幅が同じですので、横滑り防止があっても怪しいでしょう。
その橋本院は高天原の最も奥で、同寺から先には畝の様な人道しか無いという環境です。このお寺にも十一観音像が祀られており、白洲女子は「十一面観音像は、必ず山に近いところ、もしくは山岳信仰と関係のある寺院に祀ってある」と語り。また、「素人の私には(仏様に)どう近づけばいいのか。とにかく手さぐりで歩いて。なるべく多くの十一面さんに会ってみよう」(十一面観音巡礼)と観音巡礼の端緒を語っている。その状況に近いのが橋本院では無いでしょうか。背景の葛城山(白洲は二上、葛城そして金剛を総称して葛城と古人は語っていると云う)にいだかれるようなロケーションが、白洲の言葉通りです。
さて、次は綏靖天皇(すいぜい)高丘宮跡とされている場所です。ここは、いくら好天でも車では無理。歩く以外にはたどり着けませんが、前回の降雪ではアイゼンも無く挑戦すらする気にもならなかった場所です。九品寺から一言主神社へ向かう「葛城の道」というハイキングコース上ですが、獅子避け柵を開けて分け入らねばならない場所です。その宮跡に立つと目の前に大和三山や多武峰などが眺められ、帝ならずとも飛鳥へと転居したい気持ちにさせられる場所です。この地は、仁徳天皇の后の一人磐之媛が育った墓所とされていて、古事記でこの地を歌っている。しかし、その歌碑が高天原に在ったのが解せないと云えば解せない。もっとも、この宮跡に歌碑を建てても人の目に触れる機会は現在ある場所とは比較にならないだろう。投資効果を考えると然もありなん。
今回と前回をくっつけて一編にしようと思っています。しかし、課題が大きすぎて潰されそうなのでしばし推考の時間をいただきたいと思います。纏まれば、図書館へ蔵書いたします。