河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

佳きことの前触れか「吉祥草開花する」

イメージ 1

イメージ 2

 白洲正子著「かくれ里」葛城から吉野へという節で、彼女は御所市内茅原の吉祥草寺を訪れています。「お正月には、盛大などんど焼きが行われるので、有名な寺だが、今はささやかなお堂と鐘楼が残っているに過ぎない・・・今でも修験道の一方の本山であり、役行者の生まれた土地であってみれば、葛城へ行く以上一度は訪れてみたい寺であった」と紹介。

 時の住職の話では、茅原というのは萱や葦の生えていた原で、古代には沼沢地であっただろう。そこには吉祥草が一面に生えていた。蘭に似た、吉事がある時にしか咲かない。役行者が生まれた年はこの辺は花ざかりであったというが、住職も花はまだ見たことがない。と、記しています。今から凡そ47年前のことであります。

 この話も含めて今年の若草読書会で同書を紹介したところ、同人の「hiromi」さんから自宅の庭にも吉祥草があり毎年花を楽しんでいる。後日株も分けていただきました。そして、その株にいま花が咲きました。往時の住職さんが「まだ見たことはない」というのは「今年」が抜けていたのでは。お寺さんも牧師さんも時に信者に分かりやすくお説教をするため「天国には・・・、地獄では・・・」と見てきたような喩えをなさいますので、その癖でつい口が滑ったのではないでしょうか。

 ご住職もまさか50年後に斯様なことで足を引っ張られる(?)とはと、思われているのではないでしょうか。吉祥草が咲いた年に生まれた役行者は、その後葛城山で修行を重ね、次いで胆駒山(いこまやま)に隠れつつ、住吉の松のこずゑより西に向かう、と生駒山でも修行をなさっています。その生駒山腹にお住まいのhiromiさんからお分けいただいた、縁が繋がったような吉祥草が我が家の庭にも咲いたというお話でした。

 写真:吉祥草二題
 
 願い
 千年の 時空を繋ぐ 吉祥草 <偐役行者