河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

墓参の行き帰りで智と実をいただく

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 本日は墓参に。昨日孫娘Nちゃん、親父からみると曾孫の学芸会見学の報告もしてやろうと出掛けました。小阪駅前の花屋さんで高野槙を求めます。大阪場所の触れ太鼓代わりに、各部屋の場所入りが報道されていましたので、武蔵川部屋が再びお墓の前の道場で大阪場所を張っているかと期待していました。しかし、残念ながら幟はあがっていません。時期が早かったのかも知れませんが。

 暫く真冬の気候でしたので、槇はさほど傷んでいませんが入れ替えて石塔の掃除も済ませます。昼飯には時間がありますので、自転車で近隣を流して帰ることにしましょう。

 あてもなく東へ走っているとビルの隙間の空間に石塔があります。横に説明板があり、飯島三郎右衛門の墓と在ります。何でも大坂の陣、若江の戦いで山口重信と戦って討死したと、あります。これは「大坂の陣専門家」の私としては見落としをしていたようですね。しっかりと覚えておきましょう。生花が供えられているのを拝見、河内人が末永く弔いをされていると嬉しくなります。

 さて、更に東に走り玉串川沿いの旧大和川の堤跡に立つ地蔵さん付近で方向転換。この辺りの種苗屋で「バジル」の種を求めるつもりでしたが、時期尚早とか。向きが西になると河内温泉大学へ向かいますが、正面からの季節風が厳しいですね。墓参と序で行で飯島三郎右衛門とも出会えました。帰宅すると紀州の知人から蜜柑の新種「清見」とかが届いていました。美味しいオレンジの風味でした。智と実をいただいた銀輪散歩でした。

 写真:飯島三郎右衛門の墓、旧大和川の堤跡と地蔵さん(高低差が堤嵩)、清見蜜柑(?)