河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

おおさか東線 その2

 以前の「おおさか東線と桃園等を銀輪行ついでに」をその1とすれば、今回は野江駅付近から赤川鉄橋までをその2として銀輪散歩しました。起点はこの日桜の開花宣言された大阪城付近として、大川を遡り毛馬の閘門に出ます。
イメージ 1
  淀川との水位調節部を毛馬の閘門と云います。丁度淀川を下ってきた川砂運搬船が船溜まりに集まってきます。暫く待っていましたが、三隻程度では電気代がもったいないのか中々始動する様子もありません。諦めて、左岸の付け根に目をやると与謝蕪村の句碑が建っています。何度か紹介していますので、この辺りで蕪村が生まれたこととなっている程度にしましょう。
イメージ 2
船が集まるも船員はタバコで一服し出します。
イメージ 3
句に詠われている情景はまさしく今の時期らしい風景「春風や堤長うして家遠し」ですね。もっとも、本日の私の場合、堤は赤川町付近までですが。その赤川鉄橋までは数分です。住都公団の団地の中を迂回して対則へ出て堤に上がると、数年前まで鉄路の川上側を大阪市が借り受けて人道橋を付けていました。当然それは無く、人が通った場所を列車が高速で通過していきます。
イメージ 4
ここで堤とはお別れ、新大阪までの北部は次回にしましょう。線路沿いに南下すると「城北公園駅」に出ます。城北公園とは少し離れているので、この駅の場合は「赤川駅」でも良かったのではないかとも、東京のゲートウエイ駅を思い浮かべながら駅の西へ。ここから西へ続く商店街が「蕪村通り商店街」とアーチを付けています。新駅を起爆剤に更に・・・との思惑が伝えられていましたが、写真でご覧の通りですね。駅の新設効果はおいそれとは叶わないものです。ゼネコンでも入って、いわゆる再開発でもない限り他所から人が訪れる事は無いでしょう。
イメージ 7
西側の商店街はシャッターが目立ちますね。
イメージ 5
 次の野江駅に行く前に「摂津榎並城跡」を見学です。戦国時代の武将三好政長の城跡ですが、今は標識のみ建っているだけです。以前訪れたことがある野田城と云い、大阪市内にもお城と云うより砦のような拠点が沢山あったようですね、詳しくはリンクでご覧ください。同所は20年来通っています大阪市総合医療センターへの道中にありますが、この日まで全く気付かずに通り過ぎていました。これも、おおさか東線効果もしくは副作用でしょうか。
イメージ 6

 野江駅京阪本線との交点付近やや北側に、この辺りまで来ると面的整備が行われていて、高層マンションが群立しビルの建て向きによってビル風の向きが変わりバイクが翻弄されます。おおさか東線はこの後鴫野駅付近で、学研都市線上を走り放出駅を過ぎた辺りで久宝寺駅方向へと南下します。
イメージ 8
 城跡と猿楽何ちゃらとか。
イメージ 9

 野江駅付近には中・高校時代の友人、***スポーツという上場企業のオーナー家であった同級生の自宅があった場所。懐かしくなり探しますが既に半世紀が経過した場所ですので地理が再現出来ません。場所が分かったとしても、同じように家が建っているかどうかも怪しいでしょう。感傷にひたるより鉄路長うして家遠し・・・。

 友との間 縮まったようで 時長し <偐不精>