河内温泉大学

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「百舌鳥・古市古墳群」世界文化遺産登録記念 百舌鳥古墳群完全輪行

 2019年7月6日、ユネスコの第43回世界遺産委員会(アゼルバイジャン)において,「百舌鳥・古市古墳群」が世界文化遺産一覧表への記載が決定されました。   
  象徴的な古墳がいたすけ古墳です
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 そのリストは大山古墳(仁徳天皇陵古墳)をはじめとする前方後円墳群を対象とするもので、49基全てが推薦のとおり構成資産として登録されました。
これで、日本の世界文化遺産では法隆寺地域の仏教建造物(平成5年記載)以来、昨年の長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産に加えて19件目の登録となりました。
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そこで、今回指定された古墳群の内大きく二群に分けられる一つ、百舌鳥古墳群を完全銀輪踏破してみました。古市古墳群についても既報しているので併せて参照して下さい。
 百舌鳥と古市の古墳群、どちらも卍型の変形に見えるのは私だけでしょうか。では、その卍の上に出た辺りの反正天皇陵古墳から。南海堺東駅の東、閑静な住宅街の一角にその古墳があります。
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住宅街の一角と言うより古墳を侵食して造られた住宅街に囲まれているという方が適正かな。同じ例は今回の登録古墳の多くに当てはまります。
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 中央環状線南海線の交点近くには永山古墳です。鉄路と道路で二方向を切り刻まれた割りには、元の形がよく残っています。
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 睡蓮が美しいです。
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 いよいよ主役の仁徳天皇陵ですが、その前に周囲を見学しましょう。
先ず、丸保山古墳です。仁徳陵古墳との間に10室程の小さなホテルがある。世界中でもこれだけの歴史遺産に近い立地はここだけでしょう。
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 少し西には菰山古墳です。宅地造成のもたれ擁壁に覆われています。
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 仁徳陵堀沿いに南下すると銅亀山古墳です。民家の庭のようなので認識しないと、作庭による築山かと勘違いします。
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 仁徳陵の前方部へ来ました。道を挟んで竜佐山古墳
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 孫太夫山古墳の二つが並んでします。これらも、特段表示が無いので注意しないと公園の小山と勘違いしそうです。
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 仁徳天皇陵古墳の拝所は周辺見学を済ませてから参りましょう。東の角には収塚古墳です。小さ前方後円墳で、脇にみやげ物屋があります。
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 東の堀に沿って北へ進むと塚廻古墳、円墳ですが周辺が悲惨ですね。
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 更に進むと源右衛門山古墳、円墳です。これも民家が密集してゴミ集積場になっていました。
 仁徳陵古墳の後円部辺りには仁徳陵と柵で一体化されていますが、大安寺山古墳。
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 その隣には茶山古墳があります。
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 これで、仁徳陵古墳を一周(2・8㎞)しました。では、仁徳陵古墳の拝所です。飼犬等ペットの進入禁止と書いていましたが、以前カラスのペットを連れたオッちゃんに出会ったことがありましたが、仁徳さんの15代前(神武天皇)が八咫烏に助けられたのだからか、カラスは大きな顔して入っていました。
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 2007年の鳥居補修中の珍しい写真です。
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 では、仁徳陵古墳から向かいの大仙公園部へ進みましょう。仁徳陵が大仙古墳と呼ばれていたことから、一帯を公園化したものです。
西側から反時計回りに七観音古墳です。円墳ですが修景されています。
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 履中天皇陵古墳です。履中さんが仁徳さんの跡継ぎですが、古墳から出て来た埴輪の製作年代が仁徳陵より古いので、逆では無いかとも云われています。ここは、真相探求の場でも愚僧の力量も無いのでパスです。
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 履中陵を大きく廻って後円部に出て来たら、寺山南山古墳です。殆ど残骸ですね。
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 再び公園部に入ると旗塚古墳です。小さな前方後円墳です。
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(少し東には銭塚古墳。大阪府立堺支援学校敷地内ですので、はっきりと見学することが難しい(手順を踏めば良いのでしょう)。未撮影。)
 では阪和線百舌鳥駅前にくると長塚古墳です。
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 踏切を越えて百舌鳥八幡の鳥居辺りを右折すると見えてくるのが、御廟山古墳です。
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 民家の並ぶ中を行くと老健施設の庭のように見えるのが善右ヱ門山古墳。真四角の方墳です。
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 善右ヱ門山古墳がその角のように見えるのがいたすけ古墳。立派な前方後円墳ですが、宅地造成されかかったことがあり、有意の人々の努力で保存されることになった。いわば百舌鳥古墳群世界文化遺産へ登録の原点のような古墳です。
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 宅造用のコンクリの落ちかけた橋が痛々しいですが、これも含めて保存することが今後への警鐘となるでしょう。
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 そして卍の端に当たるのがニサンザイ古墳です。これも閑静な住宅と現在の墓そして幹線道路に挟まれた、百舌鳥古墳群を象徴する様です。全体がはっきりと見学出来るので、古市古墳群仲哀天皇陵古墳と同じく学習用に適切でしょう。
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 古墳の表記について (写真は神武天皇陵にて制札)
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今回登録された古墳49基の内29基は宮内庁が陵墓として管理し、厳しく公開を制限しています。例えば「仁徳天皇陵」という表記は、宮内庁の定めた被葬者の名前を冠した陵墓名です。それも正式には「仁徳天皇 百舌鳥耳原中陵」(もずみみはらのなかのみささぎ)。一方地元では「大山古墳」「大仙古墳」または「大仙陵古墳」と呼ばれています。多くの学者は後者を採用していますし、歴史教科書でも併記しています。
世界文化遺産登録での表記は宮内庁の顔を立てた形で、宮内庁の言う**天皇陵+古墳で決着が付いたのかな。私も履中天皇陵古墳の例にあるように懐疑的ですので、**天皇陵とはせず+古墳として神話と歴史の区別を付けた表記としたつもりです。
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 拝所:参道と拝所のみ公開しています。前方後円墳の場合、前方部に設けられています。(写真は天理市内の崇神天皇陵にて)
 制札:みだりに立ち入って、鳥獣や草木を採るなと禁止事項が3項目掲げています。明治以降掲げられた、かつては住民が自由に出入りしていた。内容・スタイルはどの陵墓でも同じです。
 
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 世界文化遺産について
関西を取り巻く世界文化遺産は次の通りです。
法隆寺地域の仏教建造物(平成5年記載 上記写真)
古都京都の文化財京都市宇治市大津市)(平成6年記載)
古都奈良の文化財(平成10年記載)
紀伊山地の霊場と参詣道(平成16年記載)
どれもすばらしい歴史的遺産だと思います。しかし、これらの遺産は個別に生まれて発展したわけではありません。神話とは言いませんが、それぞれが日本古来からの歴史の流れの中で育まれた文化の一断面です。
今回の百舌鳥・古市古墳群の登録で、これまでの世界文化遺産有機的に繋ぐ動線が出来たと思います。単独で***が良いよ…と呼び込みしないで、少なくても一週間以上関西に留まって、縦糸・横糸のように世界文化遺産の交点を往き来して日本を味わっていただきたい。そんな企画(観光)を関係者、関係自治体で取り組まれることを願います。
 
 歴史遺産
 神でない 人が血汗で 築いたる 古山を誰か 陵という  <偐山頭火>