河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

南岸低気圧停滞記

 17日から20日にかけて南岸低気圧、Ky君が我が家に停滞していました。様々な被害(?)をもたらせたこの低気圧昨日無事に通過して実家に戻ってくれましたが、最後まで抵抗を続けられ難渋いたしました。台湾坊主とも云われる見かけは小型ですが、威力は相当なものでした。卒園式が終わり、小学校入学式までの間本人曰く「十日間の予定」だったそうで、大型のスーツケースに衣類は勿論おもちゃや小道具などを詰め込みやってきたのが17日です。この日の夕食は近くの大ガスが経営する「かごの屋」というレストラン。皆で食事、Nちゃんと入浴の後お薬等を確認のうえ就寝しました。
  アレルギーを持っています うまく飲ませられるか

 寝る時はお爺ちゃんだったが、起きたらおばあちゃんに代わっていたと一階に降りてくるなりパソコンで遊び出します。普段遊べない分やってやるーーーという雰囲気満々ですね。写真に写っていませんが愚僧が造るジュースも楽しみだったというので力が入ります。朝食後通院に行く愚妻を送った足で、生駒山を越えました。平城宮跡で思いっきり走らせてやると車にkY君のバイクと愚僧のトレンクルを積み込んでいます。二歳の頃に猪名川でお母さんが付近の人に「助けて子どもを止めてくださーい」と泣き叫んだという自転車好きのKy君、その脚力を披露してもらいまいた。
 さすがによく走ります

 遣唐使船まできました キャラが気持ち悪いですね

 この辺りに出来た売店でお土産を買うという。勿論自分の土産とお姉ちゃんの土産だそうです。

 お土産 お姉ちゃんにはメダル

 再び近鉄線を越えて駐車場まで戻りますが、愚僧の別名フーテンの寅のようにどこぞへ行ってしまいそうなKy君を見放さないように誘導するというか、されつつ無事到着です。帰路、平宗で夕飯用の柿の葉寿司購入、彼は鮭が好きですのでこれを中心に鯖、金目鯛等を購入、そして昼飯にマックへ。水泳クラブ帰りに時に利用するというが、暫く受験体制だったので数ヶ月ぶりという。おもちゃ付きを購入したのが火を付けたのか、更に三角形ルービックキューブを買えとせがむので、生駒山を越えた温泉大学近くの大型電気店に行く。目的の物が無いのでベイゴマもどきのコマを入れるケースにするという。愚僧は承諾した覚えは無いが、ルービックキューブはお誕生日のプレゼントにするという??
 柿の葉寿司 食べると金目鯛の方が美味いという 当たり前だ

 ベイゴマ(?)入れケース 以後毎晩枕元に置いて寝ていました

 二日目の夜も数十秒で完熟睡、目覚めると今日は大工仕事と持ち込んだ水仙の植え替えをするのだという。大工仕事は来る度にしていたが満足した物を造っていないとのこと、それで出来上がったのが写真の家(?)らしい。まだ釘を使わせていないので、ガムテープで固定したつもりです。水仙の植え替えは庭にするか向かいの畑にするか迷っていましたが、愚僧の期待通り日当たりの良い庭に決めてくれました。手伝いはしましたがなかなかの出来映えでしょう。次の時期までに株を増やしてみようと思っています。
 家だそうです

 水仙の植え替え

 夕飯は食えや歌え(漫画の主題歌)、そしてその後はテレビゲーム。何故か毎晩泡あわ風呂をしていますが、愚僧の背中を流すのは忘れているようです。三日目の夜は羊さん150匹ほど数えて寝たという自己申告。四日目の朝も早くからパソコンを立ち上げて遊んでします。この日は散髪の後帰る!!と通告していましたが、夜九時に帰ると言い出しますのでお母さんに連絡すると「九時と云って、そのまま寝てしまうつもりですから、昼過ぎに返してください」とのアドバイス
 馴染みの理髪店に急遽お願いしました 予約で混んでいるので愚僧は日を変えました

 マスター(と呼ばれる人が)刈ってくれたと、自慢げにおつむを見せます。マスター曰く何とか短くしましたがくせ毛でこの辺が限度、でも入学式までは大丈夫でしょうとのこと。マスターには無理を言ったお詫びにマスター大好物の薩摩芋をプレゼント、おとなしくしてくれて刈りやすかったですとお褒めいただきました。
 顔がよく分からないように横から 真正面からだと悪たれ顔です

 早めの昼ご飯を済ませて、摂州へ向かったのが12時頃、予告していましたのでお父さんお母さん共にお出迎えでした。本人は10日間の予定でしたが、良く預かっていただきました・・・とお母さん。Nちゃん関係の所要も済ませることが出来て大助かりと云っていただき、じいさん&ばあさんの役目も少しは果たせたかと思いました。
 悪たれの 知恵が楽しみ 次の手は  <偐山頭火

三年ぶりの鍼灸に

 愚僧が現役時代に保険を担当していた時があり、報酬明細書で鍼灸を見ていて「とある」鍼灸学校からのものがあり興味を持って担当鍼灸師に電話したことが切っ掛けでした。ある種の難病というものを持っていた愚僧が質問すると、貴殿の病気治療には至りませんが、痛みを軽くするのでしたら鍼灸が効果があります。その、病気は無理・・・と云う正直さに一度お願いいたしますと訪ねたのが30年ほど前、以来お付き合いというかお世話になっていましたがその病気の根治手術を受けるに当たって、担当医からコロナ厳禁という指示があって暫く封じていて三年ぶりに去る11日に治療を受けました。
 現在は綺麗な施設になっています

 治療室

 担当していただく鍼灸師はS先生、当時は専門学校の教員をなさっていましたが今は専門大学の教授をなさっています。
 鍼灸の鍼は全長10センチ程度で、関節・内臓まで届きます。1センチほどの広さの皮膚に千以上の痛点があるのですが、これに刺さると少し痛みますが普通は股関節まで鍼の先が届いても快感(?)以外に特に痛みなどはありません。
 鍼 お恥ずかしくて全面は未公開です

 灸は灸点紙という薄い紙を皮膚に敷いて米粒にも満たない灸を五連続して打ちます。打つという表現が適当かどうか疑問ですが、焼き鍼が皮膚内に突き刺さる感じです。特に直灸(ちょきゅう)という皮膚に直に打つこともあります。これは、かなり堪えますが、S先生曰く一番良いのだ・・・というが愚僧はできるだけ避けています。
 もぐさ(滋賀県伊吹産) 額田の王以来の薬草産地です

 治療しつつ世間話や病気の話をしている内に約二時間近く経過しました。最近は学校が忙しく治療は月曜と土曜しかしていないということですが、この日は愚僧以後予約を入れていないので斯様な時間になりました。鍼灸は紀元前3000年ほど前のミイラからもその痕跡があるように、人間にとっては西洋や東洋医学を越えたものであると、最近のNHK衛星で放送していました。愚僧もあと何年この世に生があるかしれませんが、一番長い先生とのお付き合いを大切にしたいと思っています。
 三里の痕 ミイラのように 膝にある  <偐山頭火

久しぶりの四天王寺で

 河堀口近くの歯医者に正月早々から厄介になっています。正月の餅を食べた勢いで差し歯が抜けて治療して貰っている。何せ歯医者は時間がかかるというか、調子を合わせつつ治療を行うので患部摘出・・・とは行かないのだろう。そんな訳で天王寺近くまで良く行くので、先日は歯もほぼ直りかけたと自分で思い山門をくぐってみました。
 南大門 

 門前の駐車場でトレンクルに乗り換えて散策です。何年か前にNHK開催の「ええトコ大阪」をテーマにした写真募集があり愚僧の写真も何点かの内に選ばれて放送局のロビーに展示されたことがあります。そのときの写真と比べても同じ景色が天空に広がっています。
 往時も今も同じ写真に

 写真を撮っていると後ろの六時礼讚堂がすっぽりと覆われているのが見えてきます。大規模修繕でしょうか、ここらは四天王寺内で無料区となっていて多くの参拝者が訪れているのですが、前面の池の亀と同じでほぼまだらです。その近くの亀井堂もすっきりとしています。もっとも、月曜日が閑散としているというのは後で訪れた釣鐘堂本舗のおやっさんに教えて貰うのですが。六時礼讃堂の覆いが気になります。そこには大林組と金剛堂の共同事業体が工事するとなっています。
 六時礼讃堂の覆い

 金剛組聖徳太子法隆寺を造営するために、朝鮮半島から連れてきた大工集団がその元。世界で一番古い株式会社と云われています。その金剛組の経営危機時に手を差し伸べたのが大林組ですのでジョイントの仕組み合わせは分かり良いです。法隆寺四天王寺を造った宮大工集団がその後、奈良の都や古刹の造営・維持に関わっているのは法隆寺宮大工西岡常一さんが有名ですね。詳しくはリンクでご覧下さい。
  彼の手になった薬師寺西塔 写真の頃は東塔工事中でした

 工事期間は令和8年3月末と云うことなので、お堂は見られないですが歴史的な工事は見ることが出来る・・・と云っても覆いがあるだけですが。しかし、千年の歴史の中の3年間の一瞬を見ることが出来るというのも、何かの縁かと思います。
 釣鐘堂本舗

 南大門から出て釣鐘堂では饅頭を求め、一つを店内でいただきながらおやっさんと雑談。愚僧の高校時代の親友で同じ饅頭の模造品のような物を作っている会社のことを訪ねるがよく分からないとのこと。「あかねや」とか色々似た商品を扱う会社が多いのでその群れに隠れているのでしょうか。店の奥の焼き場が閉まっている理由を聞くと、月曜日は客が少ないので午前中しか焼かないと云う。ご尤もでしょう、愚僧は歯が少し心配なので昼飯代わりとした饅頭は柔らかくて餡はこってりとして上手い。
 釣鐘饅頭

 山内に(?)店が並ぶ数年前

 土産を手に今度は西門から再び境内に、以前は写真のようにテキ屋が並んでいたのですが撤去されています。工事に合わせてでも話し合いが付いたのかほぼ無くなって寂しいです。よく高野槙を買った店も店番のおばあちゃんも、おられないのはなお寂しい気持ちになります。親方に当たるテキ屋が博打にでも行くのか、その間おばちゃん一人で数店の店番をしておられたのが懐かしいです。暫し寅さんに戻っていました。

 斑鳩に 四天王寺で 匠の技  <偐山頭火

 朝鮮と 大和をわたる 棟梁か <偐大工 

それぞれのひな祭り三題 

 数日前のひな祭り、皆さんはどの様なお雛さんでしたか。上賀茂神社の雛流し、滋賀の町並みの雛飾り(一度行ったことがあります)等伝統行事としてテレビの埋め草に様々紹介されていました。多分全国的に落ち着いた一日だったんでしょうか。

 Kz君のピアノ発表会

 雛祭りの日に伊勢では練習に通っているピアノ教室の発表会があって、ほぼノーミスで「子やぎのさんぽ」と「ワルツ」を弾けたそうです。母に当たる愚女はピアノ教室の看板を上げようかと思っているのだと云うが、自分の子どもは教えられないと云いいます。どちらも、甘えが入るのかな。今回の発表会は、新居にピアノを迎えたこともあり真剣に練習していたと愚女。先月の体操競技会の金賞クラスの出来だったようで、良い春を迎えているようです。

 摂州では雛飾り

 Nちゃんのおうちでは雛飾りが、まだ男女の決定的違いが無いKy君も混ざってお祝いしてそうです。その様子を伝える便りには「ホワイトデーにはいかぞうめん」をお願いと書いてあります。将来酒豪になるのかと心配ですな。

 我が家にも雛飾り

 娘に男の子しか授からなかったので、我が家に雛飾りが一つ眠っています。毎年愚妻が賑やかしにと内裏様だけ飾っています。老夫婦の家に雛飾りも良い物です。興にのった愚妻は「ちらし寿司」迄造りましたが、写真はダメだそうです。実生活もリハビリになるということでしょう。まずまずの味でした。

 愚僧はジャガイモ植え付け

  今年は一畝半(10㍍)ほどジャガイモを植えましたが、石灰の撒きすぎだそうであまり期待が出来ません。ジャガイモは弱アルカリ性の土壌が云いようで、石灰を撒きすぎたので成長が阻害されそうです・・・という物の本を読んだのは石灰を撒いた後。何事も慎重さに欠ける愚僧らしいしくじりです。

 種芋を乾燥させて定植です

 ジャガイモを植える最中にも、電話がかかってこないかと思っていました。読書会の連中が我が家の近くに集まるというので、そちらの用事が済んで喫茶店での雑談コーナーになれば呼んでいただいたら行きますと云っていました。芋植えを早めに切り上げましたが電話がかからないので、余った種芋を植える鉢を買って来ました。鉢一つで出来た芋が沢山買えるな・・・と思いつつ。

 春よこい 桃の節句に 芋の畑  <偐山頭火

フライング月初墓参から

 月初には少し早いが、好天の昨日お墓参りに行ってきました。それと云うのも、今週初めに奈良で高野槙の原木(枝)を購入していたのでこれを整えて墓の槙として供えるのを急いだことにあります。そのため、お寺の掲示板はまだ書き改められておらず後日の掲載とすることにいたしましょう。
 お墓の高野槙 少しは未詳流も上手くなってきました

 お墓の前の公園にある土俵には武蔵川部屋が三月場所の宿舎を設けています。浪速の春は相撲から・・・とも云いますが、我がキャンパスの年中行事になってきた武蔵川部屋です。大昔は朝潮が全盛の頃、近大近くに出部屋を設けていましたが近大におけるスポーツ熱が冷めだした頃から相撲も野球もあまり騒がしく無くなりました。三十年ほど前に無くなった親父が大の相撲好きだったので、墓の脇に出来た武蔵川部屋には喜んでいるでしょう。
 武蔵川部屋の幟 往時と比べて数が減った様な気もします

 さて、序でですので更に春を求めて軽く銀輪散歩。中央環状線に出ますと菜の花が咲いています。司馬遼太郎の「菜の花忌」が近いので沿道に菜の花が植えられています。何時か、この花が盗まれて大(?)事件になったこともありました。その後更に発展するのかと思うと司馬遼記念館が菜の花を実費販売をやりだしたことと、地元にあまり貢献しないこの行事に住民も参画しなくなって盛り上がりに欠けます。また開催地を東京と大阪で隔年にするのも、記念館の東京志向が出ていて地元に目が向けられていない気がします。
 中央環状線沿いの菜の花

 我がキャンパスを北方向に大きく回ろうとすると中央大通りあたりで西に向かいます。家人の土産にと御厨団子を求めて御厨の集落に入るも、求める団子は売り切れか店が閉まっています。土産は諦めて天神社に参拝です。ここには大きなクスノキがそびえていてランドマークになっています。
 クスノキ

 神社の屋敷(?)は比較的広く、大空が見えます。まさに「天」神社ですな。神社のあれこれはリンクでご覧下さい。大阪と奈良を結ぶ最短陸路の暗越奈良街道に沿ってあるので往来が盛んだったことでしょう、今はその脇に産業道路という街道がそれに取って代わっています。カレーでお馴染みのハウス食品もこのあたりが発祥の地です。
 神社正面から

 地元と云えば先の司馬遼記念館と同じで、ハウス食品も小阪駅前に工場があった頃は工場から漏れるカレー粉のニオイだけを置いて地元貢献をしていません。今では工場跡地の半分を商大に売り払い知らん顔、住民にはカレー粉による花粉症に対する抵抗力のみ残しました。これが地元貢献と云えばそうなるのかな。
 天神社の銘板に由来が記されていました

 詳しくはリンクでご覧下さい。

 ジャガイモを植える準備 

 親父の墓への墓参から春の芽生えを探しつつ最後はぼやき漫才になってしまいました。ぼやきが多くなったのは、これも歳のせいでしょうか。最後にクラインガルテンに植えるジャガイモの種イモを天日干しにして次の晴天時に植えようと60グラムを目処に切りました。苗屋の叔母さん曰く、大きすぎてもダメで60グラム程度が一番良いと云うことでした。

 定植予定の畝 後ろにそら豆、スナップエンドウの畝です

 今年は早い春らしいが、我がクラインガルテンもボチボチ騒々しくなって来ました。隣に建物が建ち日陰が多くなったせいで、世間と比べて春の気配が遅い気がします。そら豆とスナップエンドウの跡地には里芋と薩摩芋そしてキュウリなどと考えています。

 孫達が 泥まみれに 芋掘りで    <偐山頭火

 泥孫が 輝いて見える 芋掘りだ   <偐山頭火

 

 追記:本日小阪駅周辺に所用があり、常照寺と小阪駅北の元ハウス食品工場跡の写真を撮影して来ましたのでここに掲載します。

 なんまんだぶつとは

ハウス食品元工場跡 手前が大阪商業大学後ろの建物にハウス食品のロゴが読み取れます