2013-04-01から1ヶ月間の記事一覧
この春の低気圧は、いつになく暴れん坊でした。春の雪を東北などで降らせるかと思うと、関東では雹が降ったと言います。遅霜にも注意と、お天気姉さんが注意喚起していました。 その低気圧による春の嵐で我が家にも農業被害が。ブドウの蔓一本が飛んでいきま…
何時も校外演習に出かける時は、一日分の着衣などを袋に詰めて出かけます。勿論準備していただくのは、伴侶ですが。今回は、真逆現象です。 伴侶が出かけられたので、私が在宅です。で、私の毎日の着衣が袋詰めされて並んでおります。私が出かける時は、この…
昨日は伊勢路を走りました。今流行の遷宮に関するお参りではありませんが、身内の祝い他を兼ねての伊勢行です。数年前から縁あって良く通る伊勢路ですが、今回は車の量が違いますし、府県ナンバーに今まで見かけなかった遠くのナンバーが見受けられます。 伊…
一昨日のMTB行の前に、燻材を缶に仕掛けて出かけました。約6時間後には豚と鮭の燻製ができあがりです。豚はベーコン風と生ハム風に仕上げたつもりです。つもりというのも、あまりレシピにこだわっていませんので、達人から見ると素人の域を出ていないと言う…
昨日は久しぶりにMTB散歩としました。何時もcameraはミラーレスを持参しておりますが、今回Xperiaの内蔵カメラを試す意味で、電話のみ持参してまいりました。 桃は大坂城公園内北の「桃園」です。品種の確認は失念しましたが、天守閣を真ん中に良いポーズで…
最近湖北、特に海津大崎周辺を訪れる機会が多いように思います。観光地としては桜のシーズンしかスポットライトは当たらず、妙に手垢が付いていないのが好印象なのか。むしろ手垢が付きすぎて、反動がきているのか「別荘」等は悲惨な状態ですが、この静かな…
湖北の桜の名所は、余呉湖畔、清水(しょうず)桜、長浜等が語られますが、私にとっての一番は海津大崎の4キロにも及ぶ桜並木です。昭和11年に海津大崎を周回する道路建設に携わり、特にトンネル2カ所を掘削した職人が記念にと植樹したのがこの桜の始ま…
本学図書館に先に開催しました、若草歌壇の歌集を収蔵しました。今回は、4月7日に公園で花見の予定でしたが、既に桜は無く知人宅で「鼻」見の会となりました。ネット資源汚しかはたまた自己満足のたまものか、ご一読ください。 若草歌集第12「平成25年 …
先のコメントで書きました「ブドウの新芽」を昨夜頂きました。摘んでしまいますと元気がなくなりますので、写真は枝にある状態でお見せします。なんだか、タラの芽のように思われるでしょう。これを、芽欠きと言いまして成長させるものを選び、他は取り払い…
昨日は元職場、後輩の退職慰労会でした。一昨日に続いて連続で、多少お疲れの今朝です。現職にいた頃は、畑違いの分野同士一緒になり、良く助けられたり、救われたり。要は、大変お世話になった後輩です。 南九州出身で、一年後には帰郷する予定に合わせて、…
中・高そして大学と同窓だったT君とミニ同窓会を開催しました。私が退官してから何度か連絡があるものの、中々お会いする機会が無かったのだが、昨日はT君が河内まで出向いてくれました。場所は私の馴染みの楽・というお店です。家族や元の同僚などで良く繰…
脈絡も無く今回の旅の印象というか雑感を記してみました。先ず、食べ物は全てストライクでした。鯖街道の鯖ずしとそば、どちらも非常に美味であり、味にうるさい京都にも進出している理由も納得できる。鯖ずしは持ち帰ったが、邪道かもしれないが二日後くら…
さて、ゑびすやでも温泉水を例の折りたたみタンクに積み込んでいただく。これは、毎朝のおかゆを煮て頂くつもりだが、温泉水を使用する時は茶粥にせずに、温泉の香りを主に頂くことにします。 京都府と兵庫県の境目にある「たんたんトンネル」を越えると、た…
木津温泉に近づくと、駅前商店街を構成していた街区を避けるようにKTRの鉄路が道路から離れる。先回りして列車を迎えるように、通称「青タン」を待ち受けると、桜満開のホームに滑り込んだが降車客は僅かだ。ゑびすやへはここから、徒歩1分ほどで行ける。 ゑ…
久しぶりの単独行ゆえに、気まま心に支配される。で、あれこれお腹を満たしたり気分の高揚を図ったりしつつ丹後半島を目指すこととしました。先ずは、昼飯に蕎麦を・・・と湖西の朽木に向かいました。鯖街道沿いには鯖ずし屋が数多並んでいるが、贔屓は「旭…
新年度最初のフィールドワークは木津温泉としました。丹後半島の付け根、西側にある鄙びた温泉です。近年は夕日ヶ浦という温泉名で近隣で売り出していますが、夕日ヶ浦には温泉は湧かず木津温泉から送っています。数軒の温泉宿がありますが、贔屓は「ゑびす…
昨日は河内平野の背骨のような、長瀬川と玉串川沿いの桜を巡ってきました。両河川は、共に大和川から流れ出て八尾市「二俣」で分流して、河内平野を潤し、最後は共に大川に注ぎ込みます。江戸時代に大和川の流れが直接西へ向かうように切り替えられるまでは…