河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

2018-06-01から1ヶ月間の記事一覧

前半最後の草餅「中将餅」が長期夏休みに

働き方改革云々とよく分からない法律が通過したという。脱サラして脱しっぱなしの我々には特に関係の無い事ですが、安部君の法律に先駆けて働き方改革を実行しているのが、中将餅本舗でしょう。明日から来月いっぱいお休み、お盆前に暫く開店するが後も又9…

今月は「情報システムの」脱皮月間でした

何とも大層な表現だと思いつつも、私が通信を始めた頃(こんな事を引き合いに出すと馬鹿にされますが)と比したら、情報システムと行って過言ではありません。ぶらり訪問されたテレビ回線屋さんの口車にのっかって、テレビ回線と固定電話、電力販売会社そし…

晴れ間に一仕事

梅雨の晴れ間を大切に・・・とはお天気お姉さんのこの時期晴れ予報の常套句です。孫にいい顔おをしたいお爺さんは、残りの芋掘りと予防です。予防は、生け垣の毛虫予防と、葡萄のてっぽう虫対策です。生け垣は新芽を毛虫が食べて、意気揚々と蝶蝶になって飛…

葛城から見た吉野と明日香遠望を主に

先日吉野「花矢倉」から見た葛城の遠望に感動しました。では、その逆はどう見えるかという命題を課して、再び金剛葛城行へ・・・と云えばかっこよくは聞こえるのですが、中河内にも野暮用を抱えておりましてその序でと云うのが本音ではありますが、それなり…

花山温泉行のつもりだったが

梅雨の晴れ間を狙った温泉行、先日に続いて紀州花山温泉行として自宅を出ようとした直前のリサーチで「木曜日定休」と分かり、犬鳴山行と行き先を変更。高速に乗るも地震の余波か渋滞に巻き込まれてしまう。温泉で飯もとの思惑がズレそうになる。ならば、先…

近鉄道明寺線開業120周年あれこれ

河内には奈良街道を始め数々の街道が交錯しています。東海道53次と云われる我が国を代表する街道、京都から発して高野山へ至る高野街道。高野街道は大阪に入って西・東と分かれています。大阪を含む近畿は、江戸幕府が確立するまでは朝廷という最高権力に…

各種回線の変更「光からケーブルへ」

大凡二十年ほど利用していた家庭用通信回線を変更しました。電力系光回線からケーブルテレビ系回線への変更です。知人のK橋君からは、「そんなもの数年に一度は替えるものや、その度に新技術とサービスが受けられる」とはかねがね云われていましたが、生来…

役行者が開いた山伏修験道と桜の名所吉野へ結界「柳の渡」から

インド伝来ではない日本固有の仏教である「修験道」の道場は下市から大峰山に登るルートが一般的です。しかし、これは明治以来のことで昔は吉野山から金峰山へ参り、大峰山を縦走するのが順路でした。吉野から熊野へ向かうのを「逆の峰」と云い、逆を「順の…

ダイハツ「ミゼット」を発祥の地で

テレビがやっと一般家庭に普及し始めた頃の番組やコマーシャル(宣伝といえども当時は一つの文化でした)の思い出と云えば、「番頭はんと丁稚どん」、「鞍馬天狗」そして「少年ジェット」等々・・・と数えだすと切りがありません。その番組内で宣伝されるも…

Nちゃんとのお芋掘り

先日孫のNちゃんとKY君がお芋掘りに来てくれました。マニュアルでは植えてから百日後と云うことで、既に過ぎているのですが試し堀するとあまり大きくなっていません。しかし、その気になっているし次もお天気になるとは限らない・・・と半分で強行です。 可…

6月になってよく届くものと云えば

賦課通知と「お誕生日おめでとうございます!」メールです。6月に市民税等の決定をみますのでその通知です。その後それを元にした各種の料金決定通知が届くようになります。そこへ、愚僧の場合偶々誕生月が6月である為だけなんですが、おめでとうメールと…

関西の雄「花山温泉」へ

温泉行をすると、何かしら本能がむずむずし出します。これを温泉の虫が騒ぐとでも云いましょうか。前回は端麗酒の様な木津温泉行でしたが、真逆のネバドロ系と云うか濃い目の温泉に無性に漬かりたくなりました。そこで、昨日は表題の花山温泉行としました。 …

今月は祥月命日です

親爺の命日にはまだ間があるのですが、昨日例によって墓の槇を換えてきました。結構な盛夏が続いていると思っていましたが、槇は強いですね。未だまだしっかりしていますが、お役交代です。行き帰りのお寺の張り紙は「あなたがうれしいとわたしもうれしいよ…

木津温泉「ゑびすや」からのかえり

夜半からの雨が続く朝、女将さんはこれで梅雨に入りましたと「梅雨入り宣言」。玄関先の田圃には植えたばかりの苗が、北西からの風に吹かれていました。以前は合鴨が放たれて、稲と稲の列の間を器用に動き回っていました。合鴨農法は他所ではまだやっていま…

木津温泉「ゑびすや」へ行った

木津温泉「ゑびすや」旅館は木津駅から徒歩3分ほどの線路脇にあります。この3分で温泉街の外れに到着します。要は温泉街と云うほどの街区を形成していませんが、昔はこれでも賑やかだったのでしょう。松本清張が「Dの複合」をこの宿で二ヶ月逗留して執筆し…