明治の文豪が大正7年に書いた「温泉めぐり」は当時としては、人が羨むような温泉全国巡りをした観光案内書。北は登別温泉から南は霧島温泉までおおよそ百カ所の温泉を実際に訪れた印象などを綴っている。
現在の読者から見ると、当然当時とは状況も違い比較すると言うことは出来かねる。むしろ文豪に対してそのような非礼なことは出来るはずがない。が、いささかいかがかな・・・と思われる箇所もある。
気に掛かる「河内」を始め、近畿の記述には特に気になる。
京都、奈良付近、すべてあらゆる名所古蹟は非常に多い。春の旅、秋の旅、すべて面白い・・・と記た後で奈良にふれ西の京、法隆寺、それから大麻寺、多武峰、吉野あたり、この付近にはすべて温泉がなく、強いて言えば笠置山の麓木津川対岸に「有市鉱泉」くらいが
と記されている
有市鉱泉には記憶がないが、笠置には笠置温泉があって現在も楽しめる。また、現在の工業技術は大深度の温泉を次々と探り当てて、すべて温泉がない地区にも温浴の恵みを与えてくれる。感謝するべきなのか、憂うことなのか。
写真:岩波文庫「温泉めぐり」