河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

A君が逝って一年

 小阪教会日曜学校卒業生で中・高校生時代からの友A君が突然のようにこの世を去って一年が過ぎようとしています。同じ頃無くなった仕事関係の友人G君と同じステルス癌による死は突然やってきます。両名とも医師から死期が近いことは知らされていたようで、共に「もう一度会いたい(愚僧に)」と云う言葉を残し去って行きました。特にA君とは15-6歳の頃らの友人で、奥様もよく知った中であり、近くに住まいされていたこともあり刎頸の友と云う中でありました。お互いジャズが好きで、比良山でオールナイトコンサートの飯を食っている最中にマル・ウォルドロンが隣で饂飩を食っていた・・・と興奮されていました。
 槙を求めてきました 

 30歳頃から職と住まいを関東圏に移されてからも、何かと理由を求めて往来していましたが、寄る年波のせいで近年は会うことも珍しかったです。東京では葛飾柴又をご夫婦で案内して貰ったのが一番印象的でした。我が家にも来られて当時乗っていたブルーバードを譲ると、帰りがけに愚息が左に傾いていたと云っていました。奥様とお嬢様が助手席と後部左に乗っておられたので、愚息は見送ると思ったら重量配分を見ていたようです。
 何とか仏壇用に仕上がりました

 その後長らくお会いしないままお互いに定年を迎え、偶に読書会にもお越しでしたが遠距離で夫婦となると中々足が向きにくいのは仕方が無いことです。読書会では会の主たる方が無くなって「偲ぶ会」等が開催されていますが、A君をはじめO君そして後に会員となったN女史など物故者が増えてきました。毎年とは云えませんが、近い将来の読書会では「物故者を偲ぶ」と題してそれぞれのメンバーとの関わりなどを語り合うのも良いかもしれません。次回のお話があったおおりにでも提案しましょう。
 A君家のお墓に手向けました

 この墓にA君は入っていませんが、葛城山系の槙を手向けてきました。お骨のあるご家族の元には何かしるしをおおくりして弔って貰います。
 ひとりさり またひとりが 逝くともが  <偐山頭火