河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

お湯休め「薄田隼人の墓を探して その2上町台地編」

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

 前回お湯休め「薄田隼人の墓を探して」は羽曳野市内誉田の戦跡にある、子孫が建てた墓でした。今回は、友人の偐家持氏がブログで紹介している、天王寺区増福寺内の墓なるもに参ってきた次第を紹介します。

 伝えられるところによると、どちらも無くなった場所と云うことだが自棄に離れている。薄田隼人の墓は山門を入った右手にあり、大きな五輪塔で目立つ位置にあった。この墓は隼人の6代目の孫に当たる薄田兼実が1814年(文化11年)200年忌の追善供養に建立したと云うことだが、その200年後に我々が「騒いで」いることになる。俄に、200年周期説が出来上がる。

 400年事業を遂行するに当たり、「500年」の関係者に笑われない事業をする必要が・・・と関係者に説いているが、これだと500年は無く600年に記念事業が行われるかもしれません。そんなことを考えながら、上町台地を走っていると、脳天がクラクラしてくる。

 電話で天気予報を見ると、既に30度を超えている。このクラクラは熱中症の前兆かも知れません。と、云うことでMTBで坂を下り河内を目指して急ぐこととしました。予定では、不動ノ湯に入るつもりだったがかけらも覚えていなかった。

 写真:増福寺(生玉神社南300m左)、門前の薄田兼相の碑、墓(五輪塔

 クラクラとして
 30度越 クラクラしつつ 墓探し   <偐山頭火