伝えられるところによると、どちらも無くなった場所と云うことだが自棄に離れている。薄田隼人の墓は山門を入った右手にあり、大きな五輪塔で目立つ位置にあった。この墓は隼人の6代目の孫に当たる薄田兼実が1814年(文化11年)200年忌の追善供養に建立したと云うことだが、その200年後に我々が「騒いで」いることになる。俄に、200年周期説が出来上がる。
400年事業を遂行するに当たり、「500年」の関係者に笑われない事業をする必要が・・・と関係者に説いているが、これだと500年は無く600年に記念事業が行われるかもしれません。そんなことを考えながら、上町台地を走っていると、脳天がクラクラしてくる。
電話で天気予報を見ると、既に30度を超えている。このクラクラは熱中症の前兆かも知れません。と、云うことでMTBで坂を下り河内を目指して急ぐこととしました。予定では、不動ノ湯に入るつもりだったがかけらも覚えていなかった。
写真:増福寺(生玉神社南300m左)、門前の薄田兼相の碑、墓(五輪塔)