河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

土佐東部「生家巡り」

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 あまり良い表題では無いが、思いつくままに記しますとこうなりました。まず手始めは「中岡慎太郎」生家は、昨夜お世話になった宿から元来た道を戻る途中にあります。竹林で囲まれた生家は、土佐郷士のお屋敷といった風情があります。周辺には資料館や、売店なども整備されています。

 国道に戻り高知市内を目指すと安芸市に入ります。安芸市ではまず「野良時計」です。野良時計は周辺の田園風景の中に溶け込んで懐かしい風情を漂わせる時計台です。百年ほど前、この地主の息子だった畠中源馬は父からアメリカ製の時計を買ってもらい、それを何度も分解したり組み立てたりしては時計の仕組みを学びます。そして、自作の時計を周辺の農民のために掲げたのが始まり。以来止まっては動きしつつ、現在では「動く」時計として町のシンボルにもなっています。

その野良時計の脇の広場には「鯉のぼり」が泳いでいます。大正・昭和期の作曲家弘田龍太郎は、明治25(1892)年6月30日安芸郡土居村西木戸(現在の安芸市土居)に生まれます。その代表作の一つが「鯉のぼり」です。さらに、先に進むと三菱の創始者岩崎弥太郎」の生家があります。彼も土佐郷士として「龍馬が行く」で描かれていましたね、刀を差している物売りとして。

 以上で、土佐における生家巡りとします。国道に戻りますと「和食駅」の標識が見えてきました。昭和14年11月8日二度目の四国巡礼の山頭火はここ和食で「恵比須」という木賃宿に泊まっています。私は、このまま高知市内へと入ることとします。

 山頭火(和食にて)
 金のある時は金のない時を考えないけれど、金のない時は、金のある時を考える。私のようなものの痛いところだ。とつぶやいている

 土佐郷士:豊臣方との戦功によって徳川から土佐藩を賜った山内一豊は、家臣を引き連れてきますが、元の藩主長宗我部氏の家臣を郷士として藩の中に取り込みます。しかし、上士との身分格差が激しくこれが後の幕末運動のひとつとなったともされています。

 写真:中岡慎太郎生家、野良時計、鯉のぼりモニュメント、岩崎弥太郎生家、和食の標識

 土佐湾にて
 ○酔鯨は 沖を行き 行乞は地をはう