河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

仁淀渓谷から一草庵へ「山頭火最後の行乞」

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 高知で後援者からの為替が届いていないことに落胆した山頭火は、お遍路を切り上げて松山へ向かうことにします。しかし、これとて日々の糧をお接待に頼りながらの仁淀川渓谷から三坂峠へ至る難所を通過しなくてはならない、苦行の旅であります。

 只一カ所、池川という町では思いもよらぬ収穫があったと日記に書いている。どのような町か訪ねてみることにしたが、戦前の字を頼りに新住所を探し当てるのは難しく断念しました。ただし、沿道の風景をご紹介しておきます。

 さて、松山へ入るには三坂峠という難所を越えなければなりません。私が通過した時も風雨に加えて霧という最悪の条件でした。フォッグランプを何十年ぶりかで灯しました。慎重に坂を下ると砥部の町、砥部焼で有名な所であります。しかし、今回の私の目的ではないので通過とします。

 いよいよ松山です。ここはなんとしても手始めは「一草庵」に向かわねばなりません。山頭火が終焉の地として選んだ松山で後援者の努力で結庵したのは松山城の北、御幸寺の門外にある納屋です。庵に着くとなぜか、それまでの雨風が止み、晴天となったのは何かの縁でしょうか。
 昭和14年12月15日、山頭火49歳から始まった行乞の旅の終点に庵が結ばれました。翌年10月10日同人が開催する句会の最中に「コロリ往生」を遂げるまで、松山の町を道後の温泉を一草庵でゆるゆる楽しむのです。

 山頭火
 おちついて死にさうなり草枯るる

 写真:松山街道付近の渓谷、一草庵(三点)

 一草庵へは、伊予鉄バス護国神社前バス停より徒歩5分(松山市御幸1丁目435-1)HPhttp://www.city.matsuyama.ehime.jp/kybunka/1179956_1047.html

 一草庵にて
 ○九州 川棚湯田と 彷徨い結ぶ