河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

骨休めか「タワー病院にて」

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 自身の闘病録などはあまり私のブログでは取り上げたくない話題ですが、今回は長期不在でもありましたのでかいつまんでご紹介します。
 変調が強く感じられたのは、昨秋辺りから。特に年が明けてからは、ふらつく事も。そして、1月22日に居間で転倒骨折、翌日救急で医療機関を受診し、頸椎狭窄症と診断され勧められた入院手術を拒んで帰宅。

 しかし、自身の過信(無知)と病気の進行は背反する。日々四肢に麻痺が進行する、家人やかかりつけ医からも「ぼろくそ」に云われて、結局先の病院の医師に頭を下げるとになりました。手術を受けると決まった以上は「早く」と勝手な患者ですね。部屋や検査の段取りよく事が捗り、2月26日に手術を受ける事となり数日前に入院しました。

 手術は頸椎の狭くなった部分五本を切り開き人工骨を挟む椎弓形成術と云うもの。大凡4時間半ほどかかったらしい、と云うのは本人は寝てる間の事ゆえ。術前に「頑張って」等と励ましのシーンを見るが、手術で本当に頑張るのはお医者様、患者が頑張るのは目覚めてから。と、云うことがよく分かった。もっとも、私のお見送りは愚妻のみ、あのシーンをよく見たことがあるが自分だけは親族等の見送りは絶対にして欲しくないと秘めた思いがあった。

 さて、自分が頑張る術後でありますが、翌日から立って歩け!?仏様に見えた執刀医が鬼の様に見える。翌々日から「リハビリ」、のこぎりの刃傷が疼くような首や肩に力を入れろという。が、結果としてはこれが幸いというかその道の人にとっては当たり前のことらしい。見事な執刀医と天使のような看護師、そして機能訓練士の俎上で生還の途につけることが出来ました。感謝です。

 以上の経過後、本日退院となりました。骨を休めたのか鍛え直したのか。

 写真:18階の病室から大阪城も眼下、夕食です

 骨ぼね(首を切り首すくめて春を待つ歌) 偐山頭火

 太閤の 天守見下ろす 病窓の ガラス越にて 香る紅梅

 脛椎を 切り拡げたる チタン骨 痛みうすれど ずれぬか不安

 ずれぬとも 息吸う喰うや 疼く創 日にち薬は 飲み過ぎられず

 カレンダー 印追うごと 進む歩に 桜の下で 友と遊ばん