命日を「※※忌」と追悼される文学者は何人か存じ上げているが、司馬遼太郎は特に親しい。ご近所にお住まいだったので、小阪商店街でもよく見掛けました。生前「日本堂」と言うメガネ屋で、ツルの調整をなさっていた。亡くなって、財団法人化してからは故あって記念館も訪問していません。今年も「菜の花忌」が近づきました。小阪商店街や、近隣では有志が菜の花を育てて盛り上げておられます。
昨日、最寄りの小阪駅から小阪商店街、三角公園でやや左に進路をとり司馬遼太郎記念館までを自転車リハビリのコースとしつつ道中(数キロ)を散策してきました。記念館では、ボランティアのおじさんが胸にワッペンを付けて整理などなさっておられましたが、愚僧が入館しないことに少し怪訝なお顔もされていました。
作家としての司馬さんは、一般的な「龍馬がゆく」を始め初期から晩年の「菜の花の沖」や「韃靼疾風録」まで概ね読ませて頂いた。特に「坂の上の雲」では作品の映像化を禁じていることに、彼の戦争体験と作家としての矜持が大きく反映していると思っていました。
しかし、彼の死後財団の責任者の講演を聴くと「作家が禁じた時代と比して、映像化技術が大きく進歩したから許可した・・・」述べておられたが合点がいかなかった。この点が心に引っかかり、記念館に足が向かない一つの理由であります。