河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

種芋を求めて四天王寺さん赤松種苗へ

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 久しぶりの無風かつ暖気、関東では積雪があると云うがここ河内では少し気も緩むお天気です。寒気で縮こまっていた身体の節々が痛いですね。整形でリハビリか鍼灸かそれとも・・・と云うわけで銀輪行です。裏庭の畑もどきに植え付けるジャガイモの種芋を求めて四天王寺さんは赤松種苗へ上町台地を駆け上がりましょう。

 環状線を過ぎて日本アマチュア無線連盟関西本部があった前辺りに「あかねや」の本社・工場が見えて来ます。野球で阪神の中継が始まると現れるスポンサーの一社です、もう一社は**建設工業ですがこれは所在は知りません。どうもあくが強いスポンサーが多いというか、大阪の叔母ちゃんクラスですな、好みの問題ですが。私の知人が社長をする中堅和菓子屋さんもこの手の宣伝が好きでしたから、業界のカラーなんでしょうか。

 そんなことはどうでも良いのです。これから少し坂を上がると竹本義太夫のお墓があるという「超願寺」です。前回は見付けることが出来なかったが、懲りずに探すと簡単に見つかりました。もう少し慎重に探すべき所でしたが、日頃の鑑賞へのお礼を心中でのべることが出来ました。寺の案内に誕生地も近くの堀越神社付近とありますので、探してみることにしました。

 しかし、発見に至らず。どうも、初見に弱いようです。で、堀越神社の「堀」と「越」の語源であります「川底池」を見物して見ました。大坂の陣で家康、幸村共に本陣を構えた茶臼山前方後円墳と見立てて古墳の堀という意見もあります。これが妥当かと思いますが、和気清麻呂が河内の悪水を抜くために掘った水路(川)跡という説もあります。当時は茨田の堤を作り洪水から田畑を守った実績もありますので、水路説もかなり説得力があります。その水路の東の入口が「河堀口」という尻尾も付いてきます。

 河内の悪水はその約千年後中甚兵衛が大和川の流れを変えて、決着を見ています。和気清麻呂が提案して中甚兵衛が完成させた、大阪大改造計画ですね。看板や仕組みを少し代えて「*新」とか「*革」とか申しておられる諸兄とはスケールが違いすぎです。

 さて、赤松ではキタアカリという種芋を求めました。今回は昨年暮れから土壌改造に取り組んでおり力が入っています。芋を喜んで食べてくれます(たぶん)孫も一人増えましたので。和気清麻呂や中甚兵衛さんに比してちっぽけな「我が家の大事業」です。

 写真:あかねや、超願寺墓二題・説明文、川底池

 義太夫
 先人の 偉業の上に 立つ己かな <偐山頭火>