河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

奈良山麓バイパス 當麻から風の森まであれこれ

 近年奈良は御所市へよく行きます。大阪柏原市から奈良へ入ると、二上山から五條市へ繋がる通称山麓バイパス沿いの道が好きなことが一番の理由です。この道は愚僧が会社勤めをしていた頃には軽四輪車一台が精一杯と行った道でしたが、卒業した2000年頃には山麓バイパスという二車線の舗装道路に改修されました。ただし、観光バスが入れるような観光施設・駐車場もなくタダでさえ忘れられた「観光都市」奈良のさらなる奥座敷として密やかな楽しみが残された道沿いです。そんな山麓バイパスのあれこれを墓の槙を買いに行った序でに。
 山梨・長野県の八ヶ岳を思わせる山麓バイパス

 山麓バイパスに入って直ぐに見えるのが堂塔が二つ建つ當麻寺です。勿論その手前から二上山も見えますし、相撲の元祖当麻蹶速伝説ともに野見宿禰と闘ったという力士姿の石像もあります。
  二上山を望む當麻(本当は香芝)の力士像

 ボタンで有名な石光寺もバイパス沿いにあります。二上山は山好きにとっては手軽なハイキングコースであり謀叛のかどで死刑に処せられ二上山に葬られた大津皇子を偲んで伊勢の斎宮から都に召された同母姉の大伯皇女が、二上山頂に眠る大津皇子をしのび詠んだ歌碑もあります。
 大津皇子の墓? 鳥谷口古墳

 「現身の ひとなる吾や 明日よりは二上山を いろせとわが見む」(巻二、一六五)  との歌碑もあります。今では、二上山麓で発見された横口式石槨の鳥谷口古墳が大津皇子の墓であるとする説が浮上しています。
 大伯皇女歌碑

 バイパス沿いの石光寺も良いですよ

 當麻寺はお寺より中将餅の方が有名だと思っています。草餅と云う点では我が葛飾柴又の「とらや」以上か同等の有名店です。草の取れないシーズンとそれに重なるお盆は長期休んでいます。潔いですね。
 中将餅本舗

 中庭テラス席でいただく

 當麻寺の二つ並ぶ塔

 當麻寺山門もご紹介

 この餅屋の南で二上山を貫いているのが竹ノ内街道です。司馬遼のお母さん方の実家が有ると云うことで彼にも身近な旧道で、彼の「街道を行く」と云う長編旅行記の原点と云うべき場所です。今も、當麻町内の道筋は保存されていて昔の面影が残っています。彼の云う「国宝クラスの街道」は売店なども無いのも好感が持てます。
 竹ノ内街道

 ここから暫く南下すると西から現代の竹ノ内街道が山を越えてきます。南阪奈道路です。これから先では葛城山系を大跨ぎする工作物が無く、文頭に記載した八ヶ岳山系に似てきます。大阪側で見られるような大形看板も無く、廃土業者もおとなしくひっそりと仕事をなさっているのも景観を保っています。
 八ヶ岳に似るか

 笛吹神社に近づくと 六地蔵が道の真ん中に

 拝殿にお参りせよ・・・と看板があるのが笛吹神社(葛木坐火雷神社)です。何故かというと近頃「鬼滅の刃」という漫画の舞台になったことがあり、漫画信者がコスプレスタイルで写真だけを撮って帰ってしまうからだという。
  神社では拝むべし

 創建は神代とも神武天皇の御代とも伝えられるが詳らかでない。火雷大神が火の神様であることから、火を扱う職業(飲食業・製造業・工場)や消防関係の崇敬を集めている。又、天香山命の御神徳から笛やフルート、尺八等楽器の上達を願う方の崇敬が篤く、全国各地から奉納演奏に来られる方も多い。
 なぜか大砲が飾られている B29でも打ち落とす気か

 さらに山麓バイパスを少し進むと九品寺です。道端に収穫した稲を棒状に積み上げて干している風景は近頃あまり見ない。呼び名を忘れたが昔の旧河内にもよく見られた。それが見える辻を少し西へ上がると九品寺です。
  九品寺の表札か

 九品寺はサンスクリット語で、その意味は布教でいう上品・中品・下品で、人間の品格をあらわしています。上品の中にも上中下があって中品や下品にもそれぞれ上中下があります。全部で九つの品があるので九品と名づけられています。その九品寺のご本尊は木造阿弥陀如来像で、国の重要文化財に指定されています。いつか正月前に訪れた時本堂の前にダイダイが積み上げてられていて、お好きに持ち帰れと・・・沢山頂くと強欲だし使いようが無いので一個いただいた記憶があります。門前の庭園と本堂を取り巻く石像が立派でした。白洲正子はここで一泊してその思い出を「かくれ里」に執筆しています。
  庭園が見事です

 お隣は一言さん
 大和、御所周辺の人は親しみを込めて「いちごんさん」と呼ぶ一言主神社はまるで九品寺と領地を取り合っているようです。しかし、一言さんの方が古く、仁徳帝の妃磐の姫が幼少時過ごした宮後が残っているのが一言さん。社前の銀杏の大樹は愚僧が知る限り大和一番の古木です。数年前に枯れかかった時には樹木医の偉大さを思い知った程に見事に復活しました。雄略天皇葛城山に狩をされた時に、一言主が顕現されました。その時の次第が『古事記』『日本書紀』に伝えられている。雄略帝は仁徳帝の皇女である草香幡梭姫皇女(くさかのはたびひめ の ひめみこ)が后で、そのくさかと河内の「日下」(くさか)となぞらえて、愚僧が親しみを持つ神社の一つです。
 樹齢千年を超す銀杏

 樹木医による治療

 本堂

 綏靖葛城高丘宮跡

 同説明板

 道の駅で 一息抜きましょう 入れ替え予定

 御所JAの営む直販所が二カ所にあります。一つは櫛羅に、もう一つは一言さんのさらに南へ走ったこのバイパスのピーク辺りです。何年か前に一度だけMTBで走ったことがありますが、この辺りでは降りて引いておりました。写真の葛上農産物直売所には月一程通っています。仏壇用の高野槙の原木を安価で買うことが出来るためです。
  槙を供えました

 そして地元産の柑橘系ミカンや柿が安いこと他所から運ばれてきた芋類も質が良く求め孫に与えています。最近は特に上級生になった孫娘は騙されてくれなくなり、スルメの方が良いと云うが御所JAでスルメは少々困難な直販物です。

 御所柿も手に入りました 世間で云うほど美味くは無かった 

  高天の広大な大地は、記紀に登場する天孫降臨神話の舞台となったところではないかと言い伝えられています。先ほどの道の駅から少し進むと高天彦神社の矢印が見えてきます。

 ここ辺りから急峻です

 右に折れてさらに急峻な坂を上がると金剛登山の奈良側の起点の一つ郵便道のスタート地点が高天彦神社です。神社は古代豪族、葛城氏の最高神で、古事記日本書紀の中で出雲へ国譲りのための使者を命令した高皇産霊神を祀っています。短いですが鳥居前の杉並木が良い雰囲気を醸し出しています。社を左に見て進むと金剛登山道の郵便道で、昭和10年から終戦まで御所の郵便局員金剛山頂の社へ毎日郵便物を届けた道です。
 高天彦神社参道

  郵便道

 ここから、右に折れて一キロほど進むと高天彦橋本院に出ます。橋本院は葛城修験宗の根本道場として役の小角(634から701年)の修業した寺でもあった。

  橋本院庭園

 後に高天山登拝の為この地を訪れた行基菩薩が霊地であることを感じ一精舎を建て一心に冥応し祈ったところ、或る日の事、念想中に容体より光を放ち香気漂う十一面観音菩薩のお姿が現われこの霊応に深く感じさらに修業を続け、困難と苦悩に屈することなく祈念し続けたとか。人々は、この姿に高天上人と呼び尊敬した。ここも白洲正子が訪れています。  

 十一面観音像が納められているとか

 高天原をピークに旧国道方向へ出るとこの旅の終着地、大和の名門豪族である鴨族の守護神を祀った高鴨神社です。弥生中期、この地から鴨の一族はひろく全国に分布してゆき、各地で鴨族の神を祀りました。中でも京都の賀茂神社は有名ですが、高鴨神社はそれら賀茂社の総社にあたります。
  高鴨神社 鳥居より拝殿方向を臨む

 秋の紅葉シーズンは特に美しいが、神社の神域は鉱脈の上にあるとも云われ、多くの「気」が出ていることでも有名だとかで夏場に参詣されますと、放生池と共に涼しく感じるというがその気配は十分感じられます。

 放生池から

 そば小舎

 神社左にはそば小舎があり挽き立ての蕎麦が頂けるし、挽いたそば糟ももらえる。愚僧はそのそば糟をもらって堆肥にすることもある。

 鴨南蛮 放生池の鴨とは無関係だそうです

 山麓バイパス沿いにあって唯一食事らしいものが喰える店なので重宝します。
 風の森神社 手前左が愛車のトレンクル

 山麓バイパスはここからさらに南進して五條市に入りやがてどこが終点かどうか不明のままに吉野川に吸い込まれます。後は、柿か和歌山か・・・と続きますが今回の旅はこの辺でお終いとします。その舞台に相応しいのが風の森神社でしょう。あまりにもさっぱりした社ですが、前に広がるのは金剛葛城とそこから吹き下ろす風で充分でしょう。旧高野街道の風の森峠にあるこの社のご祭神は「志那都比古神」という風の神様で、日本書紀にある国生み伝説の中で、伊耶那岐命イザナギ)が国土にかかっている朝霧を息吹により払ったときに生まれた神とされています。また、この地は日本の水稲栽培発祥の地と言われており、風の神は五穀豊穣、風水害から守る農業神として祀られています。

 雪景色の風の森

 當麻から御所の風の森まで山麓バイパス沿いに点在する愚僧の穴場的スポットを紹介するこの旅は、風が吹き下ろす森で終章を迎えました。社寺仏閣と噂話のような伝説的神々の活躍の痕跡巡りは誠に楽しいもので、四季折々の姿も楽しみの一つです。
 森のが七種の酒になる

 槙を買いに行った山麓バイパスですが、何回は部分的にご紹介しておりましたのがこの際に纏めて記載しました。随分以前の写真も混ざっていますが寺や神社が位置的に移動したとは聞いておりませんので、古い写真もご容赦ください。

 山ろくを バイクで無理だが 記憶にて  <偐山頭火