河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

盂蘭盆会雑感

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 今日からお盆です。地獄の釜の蓋が開く、先祖が帰ってくる、絶好の旅行チャンスと海外へ、又は親族が帰ってきて生き地獄・・・と様々なお盆風景が列島で繰り広げられています。それぞれでスタイルのお盆があれば良いのでしょう。我が家では迎火も無ければ送火も無い、強いて云えば送火は京都五山にお任せしております。

 でも、お墓参りには行きました。一昨日が私、昨日が家人、そして「お父さん線香を上げたから、綺麗にしといてや・・・」との沙汰が出ていますので本日は私の番になるのでしょうか。先祖様が帰ってくるのですから、お墓の数だけあの世との通用門が開いた事になるのでしょう。随分沢山の通用門があります。そこで、この通用門を通じて最近無くなった知人との交流をご紹介します。

 ネットが「パソコン通信」と称していた30数年前に「グルメ天国」というSIGと云うものを運用していました。日本電気NEC)が根となって、ネット関連とデータベースを主として発足したPC-VANと云う今で考えたら子供の仕掛けのような通信でした。縁があってパソコンや通信ものでは無く、それを使った新しい取り組みをして欲しいというお話しから先の「グルメ天国」なる、食とお酒に関するボードを企画運営していました。そこへ、関わりを持って戴いたのが、本日紹介する「tanntei」さんです。

 砂漠で一本の草を探すような毎日を送っていました。一方的に天に向かって「情報を送っているだけ」の日々でしたが、ある日そのtannteiさんからお返事が届きやっと交互のやり取りが成立です。紆余曲折の後、北は北海道から南は九州までの繋がりを構築し、全国大会・オフラインミーティングと称する集まりも、北海道や京都そして岡山と各地で開催するまでになりました。そこで、中心的なキーパーソンとなって戴いたのがtannteiさんです。

 日本放送協会の一流の放送技術者ではありますが、大きな事件ものでは駆り出されたり。食や酒、特にお酒に関する蘊蓄は中々のものをお持ちで、酒のつまみにその世界の裏話をお聴きしていました。定年退職後は、持ち前の腕を買われてサントリーホールの録音技術者として数々の名演奏をCD化したり、各地のホールのこけら落とし公演の収録と各地を飛び歩いておられました。パソコンや通信に関しても常に最先端でした。録音技術者としての栄誉ある章も数々授章されていました。

 ご存じの通り、パソコン通信は何時の間にかインターネットに代わり、子供から超高齢者までもが日常生活の道具にされる時代となりました。グルメ天国もその波間に消えていったのですが、tannteiさん始め何人かのコアグループは今も何とか繋がっていました。しかし、本年2月にtannteiさんとの繋がりが切れてしまいました。数ヶ月後に共に通信仲間だった奥様から届いた知らせでは、数年間入退院を繰り返したが、遂に切れるように永眠した・・・。今秋発表があるお孫さんの司法試験の結果を楽しみになされていたとも。

 あの世との出入り口に向かって。細い糸ではありましたが確実に繋がり切れなかったtannteiさんの糸に感謝します。最先端で逝かれたようですが、最新式の装置を揃えてお待ちください。と、感謝しつつ手を合わせて「通信」してみようと思っています。<合唱>

 写真:お墓が通信装置に、今年育ている庭の花木(吉祥草他)

 友に
 textで 心も写真も 往き来した <パソコン通信>