河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

君は早く逝きすぎたよ

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 人生の友、特に幼いころからの友は時に兄弟以上の存在に見えることもあります。まして、同じ時期に同じ病を得て同じ頃に手術をした友は、いわば戦友と云える関係でもあります。悪性新生物という病は、高齢化が進み今や二人に一人が罹患すると云われますが、我々のようにお互いに鏡越しに同じ病を同時進行するというのは珍しいと思います。その友は、今春五十回目の演奏会を開催したO君です。

 O君が亡くなったと云う知らせを聞いたのは昨夜のこと。昨日は私の先月末に受けた検査の結果をお聴きするため、早朝から病院へ出掛けていました。Wi-Fiも完備した近代的な病院ではありますが、斯様な日はネットを閲覧する気にもならず、読書で時間つぶしをしています。診療科というか病巣が二科に跨がっているため、結果を聞くにも一日がかり。午前の耳鼻咽喉科では「綺麗に治っています。次回は三ヶ月後に・・・」と順調な出だし。昼食は四階にある「のだふじ」という地元に縁の名のレストランで「いたわり御膳」。消化に良い、身体にも良い食材とのコピーに引かれたのか、毎回頼んでいる自分が可笑しいですな。

 午後の消化器内科は、内視鏡手術をさせたら何指に入るという部長先生。勿論長蛇の列と云わず塊でお待ちです。先生は出来るだけ患者を受け入れようというお考えから、吐血で救急搬送されてきた患者に対する指示も診察中に。時には駈け出して処置室に向かわれる事もあります。これで私も助けられたのですが。余談ですが、パンの食いさしが診察室に転がっていることも、ゆっくり昼食を取る間もないのでしょうか。入院中も夜遅く「こんな時間になって」と診にこられることもありました。
 
 さて、順番が来て診察室に呼び込まれます。この瞬間が一番緊張しますね、いたわり御膳を食べたのだから・・・なんて祈りに似た気持ちにもなります。ディスプレイを見ながら、既歴を読みながら「良くなっています、検体もとりましたが悪い所も見つかりませんでした。しかし、潰瘍の薬は半量で暫く続けましょう」とのご託宣にほっとします。御膳が効いたのか、神仏への祈りが通じたのか、いや家族の看病やいたわりの御陰か全てに感謝です。

 次回の検査に向けての養生と云いますか、この短い期間を何回も何度も繋ぎ合わせ一本の糸にすることが大切なんでしょう。と、思いつつ一階に降りて精算依頼をします。精算機に呼び出され、カードで精算をすると機械から「どうぞおだいじに」と音声が。一日仕事が終わって我が家に帰り、ほっとして一息ついて開いたメールボックスがO君の訃報でした。連絡では臨終の経過はよく分からないのですが、何を聞いても詮ないこと。安らかな顔で眠っていると云う、その顔を今夜みてやろうと思っています。

 写真:いたわり御膳、口数の多い精算機、最後の公演か(中央)

 無情<偐三味線>
 世の中を何に譬たとへむメール解弾き逝し君の跡おおきごとし

 沙弥満誓
 世の中を何に譬たとへむ朝開き漕ぎ去いにし船の跡なきごとし