O君とのお別れになる葬儀・告別式は過日滞りなく執り行われました。ご遺族は形式を排した内輪の葬儀をとお考えだったようです。しかし、人に優しく親切な彼のお人柄を示すかのように多くの愛弟子、邦楽界の関係者そして友人・知人が会場に入り切れないほど詰めかけられた荘厳且つ神聖な葬儀となりました。
「筝堂和楽信士」と授かった戒名を祭壇前列、非常に恰幅が良く大きなお琴も小さく見えたO君の遺影が参列者と同じ目線に配置され、おくる者とおくられる人とが一体となった会場も彼らしいと感じました。導師読経、親族や参列者の焼香そして最後の別れとなる花を枕元に・・・。花束に包まれた眠るような顔に、笑顔とも思える気配が・・・。これで、この世での最後、後はあの世でも更に腕をみがいて、待っていてくれよと心の内で声がけしてお別れしてきました。
その後数日、彼との関わりのある物を整理して思い出の頁を捲っていました。その内の数点を紹介して、O君との今回のお別れの区切りとしたいと思います。私の仕事や、関心事に彼の才能を引き込んだというのが結論でありますが、何度か楽曲を作る切っ掛けを設けさせていただいたことがあります。一つは「大和川付け替え三百年記念」で、付け替えとその恩人中甚兵衛をテーマにした楽曲「大和川」です。中甚兵衛の子孫「中九兵衛」氏の監修で完成した曲は2004年朝日生命ホールの朝日生命ホールが初演です。 作品集No.6「飛天」に収録されています。
次に2014年には「大坂の陣四百年」に関して数多企画された様々な記念事業の中でも、一際輝いたのが四百年記念事業柏原実行委員会の委嘱作品として作曲された箏曲「誓いのとき」です。作品は、尾張徳川家所縁、大坂の陣戦没者供養塔を祀る玉手山安福寺大崎信宥住職の監修のもとに作曲。大坂の陣で亡くなった人々の想いを偲び、今後の平和への誓いを込めて書かれたもので、曲は 「乱世の平穏」「戦乱」「戦いの跡」「平和への誓い」と4部からなっていてスケールの大きい作品。初演は後藤又兵衛等が華々しく散った大坂の陣の主戦場の一つ、玉手山にある公園の野外ステージでした。
最後にご紹介するのは、若草読書会同人偐家持氏との共同作品「万葉弧悲歌」(まんようこいうた)です。万葉学者犬養孝氏の弟子である偐家持氏の「歌」にO君が曲を付けたものですが、「歌」い方は犬養節と云われる犬養先生の独特の節廻し、この節が誠に箏曲とマッチしているのがなにかしらもの悲しい。2007年朝日生命ホール初演。
~ 光の春は花咲きて、風の音秋は葉ぞ匂ふ ~
若き日の恋は胸の奥深くたたまれてある。それを万葉の言の葉にのせて歌うならば…。
青雲の たなびく春の 恋遠く 浪速は花の 盛りなりけり
朱の日の 淀の大川 照る夏を 行きしや君と 道の恋ひしけ
白雲の 生駒が峰の 秋の葉の 匂へる道に 逢ひし妹はも
玄冬の すがしき雪の 河内野を 行きしふたりの 恋ひし日もがも
各作品のさわりなどは、リンク先でお聴きしていただけるものもあります。もし、通しで聴いてみようとお思いの場合は大嶽箏曲学院にて購入できますが、学院内はご承知の通りお取り込み中にて、暫く時間をあけてご連絡いただけましたら幸甚です。(なお、本ブログ中O君としましたが、これは成り行きのこと、特に匿名にした理由はありません。)
若き日の恋は胸の奥深くたたまれてある。それを万葉の言の葉にのせて歌うならば…。
青雲の たなびく春の 恋遠く 浪速は花の 盛りなりけり
朱の日の 淀の大川 照る夏を 行きしや君と 道の恋ひしけ
白雲の 生駒が峰の 秋の葉の 匂へる道に 逢ひし妹はも
玄冬の すがしき雪の 河内野を 行きしふたりの 恋ひし日もがも
写真:箏曲譜「誓いのとき」初版(抜粋)、万葉弧悲歌CDとO君特製ジャケット
盛会だった記念演奏会「大嶽箏曲学院春期演奏会」 最後の公演となりました。
お湯休め「読書会 箏曲演奏会と京銘菓八ツ橋」 読書会同人へのレクチャーコンサート
お湯休め「作曲家 玉手山公園を取材する」 大坂の陣戦績を取材しました
お湯休め「大坂の陣 小松山合戦盛会に終わる」 イベント最大の企画となりました
お湯休め「誓いのとき 演奏会当日」 ホールでの初演です
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