今日も寒い大阪ですが、今週中日に敵とのMTB走行があるので、軽く練習をせねばならないだろう、ということで早朝家を後にする。
とりあえず、東南に走ると河内野だ。馴染みの百姓さんの野小屋につくとネギが新しい。ブロッコリーと共に持ち帰ることにしました。家を出る時に家人が、昼はお好み焼きと言っていたような気がするので、ネギを沢山刻むとネギ焼きが出来るだろうくらいのあんばいです。(しかし、これはヒットしました)
暫く東へ進むと奈良街道に出ました。新しい国道25号と旧奈良街道が並行して走るこの辺りの旧家三田家に出会わした。三田家は、大阪市内との舟運「柏原舟」をつかさだった旧家で、大阪市内は上荷茶船と呼ばれる小型の舟が行き来していたという。例のオーストリアで見つかった屏風図に描かれた小型の舟が茶船です。
三田家を後にして新しい奈良街道を大阪に向かうと暫くして志紀駅に出ます。この辺りを出身地としているのが道鏡です。女帝孝謙天皇の寵愛を受けたとされている、道鏡縁の神社だが、神社は道鏡後のものらしく直接的には関係しない。
この辺で腹が減り帰る事としました。物部氏や道鏡に関しては日を改めてポイントを訪れることとします。
写真:三田家、舟運に使っていた水路、弓削神社
三田家にて
○浪速の富 運びし小舟 今は無い
柏原船について
大阪市内と柏原を結ぶ舟運で、平野川を行き来して終点の柏原まで物資を運んでいました。荷物は主に綿造りの肥料となる「干しか」で遠くから廻船で運ばれたものを大阪市内で積み替えて運んでいました。柏原からは、生産された綿や油等です。柏原から先を陸路で奈良とも結ばれていましたので、干しかは勿論奈良平野で生産された作物も運搬していました。明治に入って鉄路が敷設されると衰退し消滅しました。