河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

お湯休め「古事記編纂1300年記念奈良行 大安寺&稗田環濠集落」

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 さて、現代の牛車にMTBを積み込み再び奈良市内へと向かいます。最終目的地は稗田(ひえだ)環濠集落と、古事記序文で、天武天皇の勅を受けて帝紀旧辞を誦した稗田阿礼を祀る賣太神社(めたじんじゃ)であります。

 道中に南都七山の一つ大安寺がありますので、立ち寄ることに。立ち寄り湯ならぬ立ち寄り参りですな。まず第一印象は40年ほど前の風景を見ました。駐車場や山門は大らかに解き放たれています。門番が立って幾らかの銭を徴収すると云うことをされていません。私が学窓にいた頃の京都でも斯様でしたが、今はいくらでも関所を設けて銭を摂られます。

 ぼやきはそこそこに、山内には旅の友の先祖「元祖家持」の歌碑が建っています。それも、修景に配慮した建碑で、建立された方と寺の見識が高く評価されます。写真は、裏面の現代訳です。自身も含めて読みやすいと考えました。歌の内容については、偐家持氏のブログをご参照下さい。山門に立ちますと真向かいに八幡神社があります。大安寺の守護社ということらしい。法隆寺龍田神社に相当します。人の手垢が着いていない、良い雰囲気です。

 牛車は国道24号バイパスに出て南下し、大和郡山市内に入って暫くして右折すると稗田環濠集落に。右折した辺りから「古事記撰上1300年」というのぼりが立てられています。稗田阿礼の存在そのものも怪しいと言う意見もありますが、そこいらはその道の専門家に譲ることします。賣太神社は、集落の南東角に鎮座されています。鳥居の前が、壕の南辺になります。地相とかが関係するのでしょうか。

 環濠集落は見事なまでに、原型を伝えられています。集落内の街路や細街路も古来のままの幅員で、現在の生活には相当な犠牲があるでしょうが、それを頑なに守っておられる、住民の皆さんに尊敬と感謝です。稗田環濠集落は、堺や平野の環濠集落と比して、その存在は少し異質なようですが、それは今後勉強するとことします。

 写真:大安寺山門、家持歌碑、八幡神社、賣太神社、環濠(左が集落)

 稗田環濠集落にて
 ○世の中を いかに伝えん 後世に 人はひとなり 町もまちなり (大和川ラクシャ)