河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

富山、石川・福井そして三重「縦横の旅 伏木から砺波へ」

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 我が和歌と歴史分野での師偐家持氏の先祖でいらっしゃる、大伴家持は29歳の時に越中の国守(県知事クラスと地元では表現していた)として赴任されてきた。キャピタル奈良から越中の国といえば、本人は意気揚々と等と言うものではなかったろうにと、元サラリーマン教授も心中を察する事が出来る。

 ただ彼には和歌を操るという特技が人より長けていた。赴任地の横にある二上山(ふたかみやま)という奈良と河内との境にある同名の山や、白山連峰を始めとする豊かな自然を歌った223首の和歌を、5年間の赴任期間中に詠んでいます。また、彼の部下も国守の影響からか、100首にも及ぶ和歌を詠んでそれらが万葉集に納められています。

 高岡市では、路面電車、学校、港湾施設に「万葉」とつくものが多く、万葉歌碑も100を越えると言われています。その象徴的な施設が「万葉歴史館」で、場所も国守のあった場所に近いと言います。二上山へは万葉ラインという道路が整備されて、山頂付近には家持氏が国を見下ろしておられました。

 小矢部川河口に開けた伏木の町は、北前船の中継地としても栄えており、北前船資料館や、曳山館があって往時の繁栄を伝えています。また、伏木港近くの如意渡は義経記によると、義経主従が奥羽へ落ちる時に小矢部川のこの渡で疑われて、弁慶が義経を打った場所とされています。歌舞伎の勧進帳ではこの設定が「安宅の関」に変えられています。

 長旅の疲れを癒す宿は砺波としました。チューリップ栽培やトナミ運輸の発祥の地です。日本海側にあるトナミ運輸新潟運輸等は北前船の代替運送手段かなと、これまた勝手に想像してホテルを目指しました。

 写真:二上万葉ラインに立つ家持、同所から氷見湾を望む、平和の鐘、如意渡の弁慶義経像、砺波ロイヤルホテル露天風呂

 砺波ホテルにて
 砺波にて 山里の湯か 穂も垂れる  偐山頭火

 高岡万葉歴史館
 http://www.manreki.com/

追伸
 先ほど我が師偐家持氏のブログ上で、家持の母親について論じておられましたので、ご紹介しておきます。参考になさって下さい。

 偐万葉田舎家持歌集 (その他関連もまとめてご紹介します)

大伴家持の母
 http://plaza.rakuten.co.jp/yakamochi35/diary/201209170000/

高岡銀輪万葉・たまくしげ二上山
http://plaza.rakuten.co.jp/yakamochi35/diary/201006130000/

同(その2)
 http://plaza.rakuten.co.jp/yakamochi35/diary/201006130001/

富山・庄川・小矢部自転車道
http://plaza.rakuten.co.jp/YAKAMOCHI35/diary/201006140000/