河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

お湯休め「野見宿禰を訪ねて龍野散策」

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 野見宿禰は従前主従関係であった家来が、主人が亡くなると殉死という形で家来共々埋葬されていたことを改め「埴輪」で持って代えた、と言う徳を持って 垂仁天皇より先に紹介した藤井寺道明寺一帯を賜り治めていました。この付近は土師ノ里(はじのさと)とも言いますが、土師は埴輪・土器に関係する集団の氏と言われています。

 さて、相撲取りでもあった野見宿禰は、当麻蹴速(たいまのけはや)と相撲を取ったのがその始まりとされて、當麻町にはそれを記念する相撲館に土俵があります。ちなみにこの勝負では、野見宿禰が勝ち当麻蹴速は腰を折られたと言いますから、当時の相撲は古代ローマの格闘技並ですね。

 宿禰は出雲の出身で古里へ帰る途中病で、今回旅した龍野で亡くなったと伝えられています。龍野城の近くには野見宿禰神社があります。旅先で亡くなった彼を供養しようと縁の人々が、河原の石を野に持って立った(立てた)のが地名の龍野の由来と言います。

 その河原とは、揖保川のことでしょう。素麺の揖保乃糸でも有名な川であります。最後に、一題。揖保川では非常に妙な堤防があります。堤防と言うより、普段は隙間なんですが、一旦大水が来てあるラインを越えると堤防の桟に近くの家から畳を持参して挟み込みます。これで、畳一枚の幅だけ堤が嵩上げされることになります。何時までも持たないでしょうが、緊急避難にはなりましょう。(珍百景候補ですね)

 写真:この先右に野見宿禰神社、「すくね」が多いですな、龍野城址、畳を挟む堤防の工夫、野見宿禰と龍野由来説明板

 野見宿禰を訪ねて
 道明寺 揖保川越えて 龍野の祖       <偐山頭火