河内温泉大学

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お湯休め「木村重成 大坂夏の陣奮戦の地と墓所」

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 天下分け目の戦い関ヶ原の合戦で勝敗を決したかに見えた豊臣VS徳川の戦いが尾を引くのが冬の陣と夏の陣。この両戦でその後の260年の天下は徳川のものとなったのは、歴史の教科書に戻るまでも無い。冬の陣での真田幸村の活躍の様子は、以前ご紹介した通りです。

 そこで、今回は夏の陣の大阪方の立役者木村重成の墓を巡りつつ彼の活躍をご紹介します。大坂夏の陣の主戦場は、樫井の戦い、道明寺・誉田合戦、八尾・若江合戦そして天王寺・岡山合戦で絶望的な状況の中、唯一戦線を維持し続けた毛利勝永の指揮により、豊臣軍は城内に総退却し勝敗は決した。

 木村長政は八尾・若江の合戦で勇敢に戦い、写真の石碑の戦記によると彦根藩士安藤長三郎に首を落とされたとあります。死後何年か後に安藤家の縁の者が供養の墓を当地に造ったと記されている。当然だが木村の子孫には斯様なことは出来ない時勢だったのでしょう。

 本日銀輪散歩で訪れた、長政の墓は河内、八尾市の北部の住宅団地の中に在る。河川改修と住宅建築とで生じた都市公園の一角にひっそりと安置されている。祭る人も居ないのか荒れるままであるが、往時私に生があったなら、西軍に属していたかもしれぬ我がDNEが多少涙を流す。次回は供花でも持参しようと思う。それにしても、何かうら悲しい墓であります。負け戦はするものでは無いと思う。また、これから260年後には彦根藩主の井伊直弼桜田門で首を落とされている。いずれもこれらがきっかけで次の時代の幕が開いたと感じるのは思い込みすぎだろうか。

 写真:木村長政墓所石柱、墓所全景アップ、碑版、墓所全景

 木村長政
 勇猛に 戦いつつ 夢破れ  <偐山頭火