河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

お湯休め「NORIN TEN 稲塚権次郎物語」

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 この所目がかすむとか、じっとしている姿勢が辛い・・・等と本を読む事が少なくなってきました。元々教科書を始め文字を追っかけるのが不得手なので、加齢を言い訳に加えて加勢させているところも在ります。そんな自分ですが、表題の本には少なからず感動いたしました。

 要は「麦の品種改良」をされただけなのですが、それが今では全世界の9割の品種の先祖として植えられていることです。この事は、世界の食糧不足に多くの貢献をしているのですが、その功労者に対してあまり光が差し込んでいないという点に注目した本であります。

 麦の品種改良の詳しいことは、本に譲るとします。評価すべき所を絞りますと「稈長(かんちょう)」麦が育っている地表面から穂首のところまでが短い。この事は、「倒伏(とうふく)」と云い稲・麦・樹木などがたおれることが少ない。そして、「分蘖(ぶんけつ)」稲・麦・トウモロコシなどで、茎の根に近い節から新しく茎が発生し株張りが良い。纏めますと、短く倒れにくい、沢山の茎を出し実を多く付ける生産性の良い品種と云うことです。お相撲さんで表現すると土俵に根をはった「あんこ」型でしょうか。

 昭和10年上記の品種「小麦農林10号」を作ったのが「稲塚権次郎」さん。富山県南砺市(元城端町)に明治30年に貧農の子どもとして生まれ、努力して東京大学農学部を卒業。その後農商務省に入り農作物の品種改良に生涯を捧げました。陸稲などの品種改良にも貢献しますが、昭和10年に「小麦農林10号」を誕生させます。地道な功績に日が当たったのが世界の食料危機に「緑の革命」で貢献したと、昭和45年にボーローグ博士の「ノーベル平和賞」授章がきっかけでした。

 ボーローグ博士の「緑の革命」の「兵器」となったのが「小麦農林10号」でした。この後稲塚氏に「勲三等瑞宝章」が贈られます。なんだか後先が逆な感じがしますが、声のデカイだけが目立つ日本ではよくあることですね。少しはしょりましたが、そんな稲塚氏の功績とその人生を映画化した過程を纏めたのが稲塚秀隆編集「NORIN TEN 稲塚権次郎物語」(合同出版)です。

 写真:稲塚権次郎物語二題

 駄作に変えて
 馬柵越しに 麦食む駒の 罵らゆれど 猶し恋しく 思ひかねつも
 巻十二・3096
 柵越しに麦食む小馬のはつはつに 相見し子らしあやにかなしも
 巻十四・3537