河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

七釜温泉 浜坂市街を輪行して

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 浜坂で泊まるのは初めてでした。三朝や岩井温泉などの行き帰りに立ち寄る中でもその殆どが七釜温泉でした。七釜では利用するとスタンプを押してくれ、今回10個目になったと云うことで、無料券を戴いた。6年かけたスタンプ収集で戴いた無料券が一年以内の有効期間です。受付の係員に「急いでまた来ます」と軽口を云うしか無いですな。

 泊まったのは「浜坂温泉保養荘」と云う、県が絡んだ施設です。宿泊棟、長期滞在型棟、リハビリ、会議室等々昔流行った「多目的施設」です。全体を見ると良いのですが、個々の利用者特に高齢者などにとっては利用しづらい所も。特に移動動線が長いのが堪えますね。しかし、部屋は美しいしお料理も新鮮で美味しい、温泉も湯量豊富で眺めも良い。加えて、スタッフの皆さんも親切です。次回は家族で参ります・・と分かれに口約束。

 スタッフにお教え頂いて浜坂市街(新温泉町輪行です。駅前に堂々と停めてくださいとのご指示に従い車を駅前に堂々と置き、トレンクルを下ろして散策開始です。戦国末期の芦屋城を西の城山にいただき対面東に観音山、その間を流れる岸田川の源流(味原川)近くの千々見山を結ぶ三角形の上に浜坂が成立しています。トレンクルで走ると、その三角州が急峻なため「浜の坂」なんだと独り合点。芦屋城にあって羽柴秀吉に抗ったのが塩治周防守、落城するも更に鳥取攻めでも抗戦し自決します。城の位置や形態から海上で活躍した水軍であったとも伝わります。

 浜坂港で翌日のベニズワイカニ解禁前に出港する漁船に但馬水軍の面影を見た・・・とは言い過ぎでしょうか。三角州をぐるりと回ると、芦屋城下には陣家跡らしい町並み。海岸のサンビーチには「山陰海岸ジオパーク」、「新田次郎文学碑」、漁師の町屋には郷土の偉人を伝える「先人記念館」と共に温泉塔があります。町中では各戸に温泉を引くことができるといいます。羨ましい限りですね。望んでも叶えられない望みは現実的解決と「七釜温泉」へ向かうことで当座解決です。では・・・・

 写真:城山麓塩治周防守顕彰碑、但馬水軍出陣か、新田次郎文学碑、ジオパーク野外展示、温泉塔等二題、先人記念館、七釜温泉二題、浜坂三山ガイド

 但馬水軍
 戦場で 冷えた男の子を ゆで卵 <偐水軍>