先の大坂夏の陣木村重成に関して記載しましたら、泉州の方から樫井の戦に関するコメントがありました。普段からよく通るところという点が気にかかり、本日自動車の二年目の点検に、岸和田近くまで出向いたので少し足を伸ばして巡ってきました。
夏の陣「樫井川の戦」に関して詳しく述べません。多くの記事が出回っているのでご参考にしてください。ただ、全体的に申して豊臣方の負け戦だったのですが、その中でも特に悲惨な、先陣争いによって消耗した戦だったようです。功を焦ると、しくじるという良い例かもしれません。ただ、当時の状況を察すると、我先に・・・という気持ちも良く理解できます。
泉佐野市南樫井という場所でありますが、ここに日枝神社があり元々は樫井城があったとも言われております。この神社から紀州街道を北に遡ると、まず、正法寺の山門脇に淡輪六郎兵衛の宝筐印塔がある。暫く進むと道の対則に塙団右衛門の五輪塔が祭られています。両者の供養塔が並ぶ紀州街道の東は樫井川が流れています。
共に、紀州和歌山藩の徳川方との争いに馳せ参じたわけですが、思い届かずこの地に果てた。戦の後縁者が供養のために建立とある。木村重成のように敵方が建立と言う物でも無いようです。今回はひょんな事から、泉州にある大坂夏の陣に関する戦績を巡ることが出来ました。夏の陣と言えば、玉手山、誉田の戦、河内若江の戦しか無いという思考を、訂正することが出来ました。改めてネットの結びつきに感謝する次第です。