河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

お湯休め「泉州岸和田城下町を散策する」

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 大阪天満の八軒家浜から伸びる熊野街道が、堺辺りで紀州街道西高野街道を分岐するのだろうか。大阪湾寄りの紀州街道沿いに岸和田城を中心に発展した町が岸和田です。戦国時代には既に城の原型があったようで、豊臣を経て徳川の代になって表向きは53000石、城の規模としては30万石の城の構えに成ったと言うから、経済的な裏付けもあったのでしょう。

 岸和田と言えばだんじり。と言うのが定番ですが、最近はNHKの朝の連続ドラマでコシノ姉妹のお母さんの生涯を描いた「カーネーション」でも有名となりました。その、コシノ姉妹の生家がある商店街を、だんじりが駆け抜けるが、なるほど幅員も十分あります。ドラマカーネンションの衣装を飾ってる店もある。歴史を重ねてきたとみられる重厚なビルは、現在も活躍している。

 駅前通商店街を紀州街道まで突き抜け、南に下ると市役所の表示の向こうにお城が見えてきます。城を取り巻くように、だんじり会館、地元財閥の建てた「五風荘」、だんじりが宮入する岸城神社(きしきじんじゃ)、ドラマのロケも行った別寅かまぼこ城内寮(元旅館萬翠園)などが凝縮して集まっている。先の大戦で、空襲の被害を受けなかったのでしょうか。

 旧紀州街道沿いも沿道が整備されており、地元財閥の銀行が「自然資料館」として再利用されている。戦に備えて見通しを遮るための「鍵の手」は、だんじりやりまわしの難所と紹介されている。

 岸和田と言えば「豆板」(生姜板)を買って帰る父の思い出が強烈だったのですが、今回街の散策をしても土産としての地位を築いていない。帰宅して調べると春木のだるま堂という店で扱っていた。残念なことだった、何時か又買いに行きましょう。だんじりの囃子が、城下に響く頃にでも。

写真:駅前通商店街右にオハラ洋装店、同近畿大阪銀行ビル、岸和田城、岸城神社、紀州街道、同道標

 岸和田と言えば
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