次なる目的地「白河の関」を目指して東北道を下ることになる。白河の関は鼠ヶ関(ねずがせき)・勿来関(なこそのせき)とあわせて奥羽三関と呼ばれる関です。ちなみに畿内にも三関があり、律令政権の体制維持の基礎となっていたようだ。
余り難しいことは私にはどうでも良いので、白河の関は「甲子園の優勝旗が白河を越えた」、「河北新聞」の「河」を白河の関が指すという、現在でも関が社会性を持って生きていると云う点に関心が引かれて、長年憧れていた場所です。
松尾芭蕉も「奥の細道」で通過していますが、本を読むと通過時点では余り感動した様子も無く、暫くしてから知人に宛てて句を送っている。掲載の説明板によると、1800年に場所を特定しているのだが、芭蕉が通過したのは1689年。看板も何も無かったのだろう。
さて、現場だが今は綺麗に整備されている。場所を特定したという場所には社があって、その前を東山道(今で云う国道四号だろう)が通過している。東北自動車道、国道四号の脇にあるので、訪れる人もなくひっそりとしていたが、久しぶりにトレンクルを引き出して散策した。奥の横道ならぬ自転車道となった。