河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

お湯休め「MTB行 高槻今城塚古墳を行く」

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 表題のMTB行は、友人の偐家持氏との道行きであります。ロングライドも久しぶりなら、偐家持氏とも久しぶりであります。集合地は森ノ宮駅前の大阪城公園入口、目的地は高槻市郡家新町にある今城塚古墳と少し西に位置する太田茶臼山古墳の二つ。これらを、淀川、芥川等々の河川を目印に周遊するというもの。河川は目印になるし、滝でも無い限り高低差も少ない。

 約束時間に少し遅れ得て大阪城公園前に着く、偐家持氏は既に到着されて紫煙を楽しまれている。行程表をいただき出発、先ずは大川に出て毛馬閘門を目指します。大川と淀川本流の流れの高低差を調節する仕掛け、淀川本流にも大堰があるが、これは逆流抑止の装置でしょうか。ここから、淀川を遡りますが、このコースは彼とも何度も行き来しているので、今回は適当な所で対岸、右岸に渡り芥川を目指すこととします。

 淀川河川敷は左右共に、公園やテニスコートなどに利用されていますが、力の入り様は俄然左岸ですね。左岸は大部分を大阪市が占めているので、力の差が出ているような。茨木市を過ぎた辺りで、救急車が河川敷内の公園へ、事故でもあったのか、車のボディには高槻市と書かれているので、ボチボチ目標に近づいてきたのだろう。暫くすると芥川にぶつかる。進路を芥川堤防上に取る。阪急京都線に当たる手前で食堂を探して、エネルギー補給。丁度正午、腹時計は正確でした。

 補給後、再度芥川にと戻ることとしたが、芥川は少し下流で女瀬川と分岐しており、今城塚古墳もこの河川の脇にあることが解っていたので、遡る。急では無いが高槻の山間部に向かう河川故関節に堪える。悲鳴を上げかけた所で目の前に目的地、安物のテレビドラマのように良く出来たものです。
 非常にでかい、「いましろ大王の杜」として整備が行き届いていてさすが大王の墓とは復元したらこうなっているのかと納得させられる。発掘調査の結果等から、今ではこれが継体天皇墓では無いかと推定されている。宮内庁は、少し西の太田茶臼山古墳継体天皇陵としていますが。

 一通り見学、我々が入場したのは裏門であったことも判明、改めて正門で愛車との写真を撮る。ここから、太田茶臼山古墳へは途中から西国街道を利用していることが解ったのは、太田茶臼山古墳を後にして、帰路について暫く走ってから。古風な家並みが続き「醫學博士**」という表札も見かけ、吹き出しそうにもなった。

 西国街道安威川との交点で、安威川にポイント切り替えた。我々は安威川が淀川に流れ込んでいるという勝手な思い込みがあった故。帰って地図を見ると安威川は、神崎川から猪名川へと流れている。安威川に頼って走っていると、尼崎市辺りへ出たことになる。そこまでは行かないだろうが。
 途中、新幹線鳥飼基地辺りで、虫の知らせか進路を真南に取り淀川右岸に出ることが出来、鳥飼大橋で左岸に出て中央環状線守口駅辺りまで南下、西三荘駅で京阪線高架を潜り鶴見緑地を目指して帰宅とした。行程70キロ、7時間の楽しいMTB行でありました。

 写真:毛馬閘門、淀川大堰、いましろ大王の杜、古墳と埴輪群、石柱と愛車、太田茶臼山古墳宮内庁の標識、西国街道鳥飼大橋

 太田茶臼山古墳
 定説も 新資料には 歯が立たぬ  <偽山頭火