台風19号で催行が危ぶまれた、とある喫茶店常連客による親睦サイクリングに友人二人と伴走同行して来ました。幼児から70歳超からなる男女16人の銀輪列での走行は、公園内外を我が物顔で疾走する鹿の群れのようでもあり危なげながら、無事25キロほどの走行と見学を楽しむ一日でありました。
集合場所の交番前
集合時間は午前10時近鉄奈良駅前交番前。我々伴走組と講師役の偐家持氏は自動車等で奈良に入り、平城宮跡公園でMTBを降ろすなどして集合場所へ。
激走する鹿の群れ?
近くのレンタサイクル店で、各自電動自転車を借り入れ最初の訪問地平城宮跡へ向かいます。
南大門が見えて来ました
大極殿では記念撮影の準備です
大極殿から北100メートル程にある51代平城(へいぜい)天皇陵制札付近です。
少し北東に移動したら、仁徳天皇の后で初の民間人皇后となった磐之姫古墳です。
万葉集第二巻の巻頭を飾る女性歌人としても知られています。
「ありつつも 君をば待たむ うちなびく わが黒髪に 霜の置くまでに」(万葉集巻2-87)
嫉妬深い磐之姫と仁徳天皇の「浮気」のやり取りの説明に、参加者大笑いでした。女歌における嫉妬の表現とも言われているそうです。
拝所にて偐家持氏の講話風景です
法華寺を見学して再び平城宮跡で昼ご飯。食後は銀杏を拾う幼い参加者が「パパにあげる・・・」と可愛いお手々です。
平城宮跡を東西に抜けて「西大寺」から「喜光寺」へ。参加者が御朱印をもらっておられました。
田道間守は垂仁天皇の命を受けて不老不死の果物「タチバナの実」を探しにいきましたが、発見して持ち帰った時には既に垂仁天皇が崩御しており、悲しみの余り天皇陵で自らも亡くなったという伝説が残されています。そのお墓が、脇にある小島だと言われています。
現在では田道間守は「お菓子」の神様としての信仰を集める存在になっています。
御陵と脇の小島
垂仁天皇陵古墳脇の田園風景
秋篠川の唐招提寺脇にある万葉歌碑にて講師役の一人偐万葉歌人「偐家持」氏による・・・
「沫雪のほどろほどろに降りしけば平城(なら)の京師(みやこ)し思ほゆるかも」
大伴旅人の歌碑の説明を受けます。 大伴旅人は大伴家持の父で偐家持氏とも血縁があるかないか・・・当時太宰帥として赴任していた旅人が、淡雪がまだらに降りつづくと奈良の京が思われることだと、大宰府に降りつづく雪を見て奈良の京を思う歌だそうです。
解説を聞く参加者
同歌碑
最後は女性参加者の目的の一つ「鹿せんべいアイス」を平城宮跡でいただきます。美味しそうに鹿せんべいを食べる鹿の気持ちになれるという、アイスを挟んだ煎餅をほおばり道を挟んだ向かいに見える遣唐使船を眺めて小さな旅の締めくくりとしましょう。
鹿せんべいアイス
と遣唐使船