河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

偐膝栗毛 摂津尼崎城から垂水神社へ銀輪行

 けん家持氏との銀輪行、今回は近年再建なった尼崎城から園田、伊丹から垂水神社まで摂津国を巡って来ました。膝栗毛のような珍道中にお付き合い下さい。呼びかけたの愚僧偐山頭火、歴史資産の土饅頭(古墳)を巡る旅に少々飽き、本格的な梅雨前に一走りと呼びかけたところ尼崎城では如何となった次第。
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 それだけでは納まらないのが何時もの二人の輪行です。
出発は大阪城森ノ宮入口。城内には色々な店がオープンしたと聞きますが、どうもお城らしくない雰囲気になっていっているようです。ベルサイユ宮殿やウインザー城.そしてノイシュバンシュタイン城たこ焼き屋とか焼肉屋が軒を連ねていると想像するといいでしょう。数世紀後に恥ずかしくないような大阪城にしておきたいものです。その、大阪城北をかすめて、国道一号から二号へ入り淀川大橋で新淀川を超えた所で、野里神社があるが行くかという問。思いがけなくビーンボールが飛んできました。
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 ひたすら尼崎を目差すよりは休憩にもなる…と野里商店街を入ると左に社が見えて来ます。この辺りは野里の渡しがあった場所でもあるという説明板、大和川の権威でもある偐山頭火としては関心のあるところ。淀川改修以前の中津川はこの付近を流れ、野里の渡しが置かれているという。野里神社は一夜官女という祭の舞台でもあります。司馬遼太郎の「一夜官女」(中公文庫)の舞台で祭殿の裏には塚もあります。
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 神崎川と左門殿川を渡りますと兵庫県尼崎市です。日本の近代化を支えた重厚長大型の工場群の中を西へ暫く進み、阪神電車尼崎駅の直前を南下すると尼崎城が見えて来ました。家電量販店の創業者から、創業の地である尼崎において尼崎城を建築し、市に寄附され平成31年3月29日一般公開となったもの。最近話題が多いお金持ちの道楽としては、少しは評価が高い。尼崎城のそのものについては尼崎市広報等をご覧下さい。
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 新築(?)前の尼崎城祉の碑
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 その説明板。
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 なんでも桂米朝荒井由実等が求めたという尼崎名物(?)水飴店。家持氏と共に何と読むのだろうと、考えながら素通りしました。尼崎城西直ぐです。
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ヒノデ阿免本舗(あめ)と読むそうです。関心のある方はどうぞ。
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 尼崎城を海に浮かぶような様から別名琴浦城と呼んでいたそうだが、その琴浦絡みで琴浦神社へはさらに西へ、競艇場最寄りのセンタープール駅北にあります。神社のある付近だけ小高くなっており、海岸の景色が優れているという意味の異浦(ことうら)とも呼ばれていた。嵯峨天皇の皇子の源融(みなもとのとおる)が祭神で、源融光源氏のモデルであるとも云われています。毎日三十石の潮水をここから運んで、京都の屋敷で塩を焼かせたと伝えられています。
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 ここから、内陸部へ切り込むのですが丁度幕間です。JR立花駅近くで焼き鳥定食を食する間暫し休息といたします。

 みずあめ
 尼の潮 塩になったり 飴になったり <甘党山頭火