河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

冥道の旅「桂米朝が逝く」

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 大好きだった桂米朝が逝った。落語を始め、小松左京との「題名の無い番組」(通称・題無し)はラジオ大阪の看板番組だった。中学校時代に聴いたと記憶する。以来、少しの金の余裕が出来ると、いわゆるホール落語の草分け「サンケイホール」での新春独演会、夏の独演会によく通いました。内訳話になりますが、知人の父親がこのホールの入場券を請け負っていて、良い場所が取り放題であったような気がします。

 ここ数日、桂米朝落語全集を引き出して、DVDで何題か聴きました。昨夜は「百年目」これも奥深い題ですね。しかし、一番印象に残るのは「地獄八景(ばっけい)亡者戯」です。彼曰く、「旅ネタ」の一つで東の旅では伊勢でこれを演じることもあったという。

 旅ネタは、往時の庶民のあこがれの大旅行を連想させるだけに、非常に好評だったそうです。
 「三十石船夢の通い路」は玉造稲荷神社から出発した、喜六・清八が伊勢参りから帰る直前伏見の浜からのシーンです。「兵庫舟」は金比羅参りから大坂へ入る直前のシーンです。サメとのやり取りが滑稽ですね。それでは、桂米朝演じる「地獄八景亡者戯」の一節から米朝師匠を偲んでいただきます。
 その前に表題の漢字おかしいと思われる。さて、落語では米朝はんは、冥土へ来た一行を案内して冥土一の通りを「冥道筋」と案内。小屋掛けの看板に「桂米朝」という看板を見て「近日来演」と茶化します。そんな所から表題を決めました。

 当時の旅は、JTBやHISがあったわけでは無く、旅館等は行き当たりばったり、中には法外な金子を取ったり、飯盛女とセットとか、いわゆるぼったくりが多かったそうです。その様な旅行環境を改善したのが「浪花講」という組織、大阪商人の松屋甚四郎等が1804年に開設した。協定旅館を定めたり、旅人にも札を渡して旅の品質を高めたそうです。

 写真:浪花講発祥の玉造稲荷神社分社、記念碑と浪花講由来、玉造稲荷神社内の伊勢の旅の案内、閻魔演じる米朝さん、91年夏の独演会チケット

 冥道筋
 米朝が 近日来演 今叶う   <偐山頭火