河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

野田城界隈

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 定期検診にこの病院へ通い出して二年、先月末にも検査を受けて良好というか、しばらく経過観察ということで先ずは一安心でした。昔の感覚では環状線「福島駅」から徒歩。今では東西線新福島駅」または地下鉄千日前線玉川駅」が最寄り駅となっています。大変便利になったものですね。病院の名前も厚生年金病院から大阪病院へ変わりました。時代と共に社会インフラや行政機構も変化しているのが実感出来ます。

 毎回のように利用するのが、院内食堂です。絶食で検査に臨みますので、検査・処置後はお腹が減っています。この腹を満たすために「のだふじ」と云う食堂で「いたわり御膳」を食します。今回はこの「野田藤」から説き起こしていきましょう。福島区の「区の花」に制定されている藤をたよりつつ近隣の名所を巡る散歩にお付き合い下さい。なお、カメラは電話が内蔵された物で解像力に少々難があります、ご容赦下さい。

 先ずは御世話になっている病院とそのモニュメント。斯様な美しいモニュメントが在るとは今回まで知りませんでした。さて、福島駅に行けば何とかなるかとトレンクルで輪行開始。駅前の浄正橋交差点南西には、菅原道真公所縁の「福島天満宮」です。幼稚園や飲み屋に軒を取られて、身をすり減らされているような社です。ここで、近隣案内を見ますと野田城とありますので、目的の野田「ふじ」とはずれるかも知れませんが野田「城」を目指すこととしましょう。

 地下鉄玉川駅前の角地に「野田城跡」との標識を見付けました。影も形もと云うのはこの場合を指すような見本のような物ですね。取りあえず写真を押さえましょう。戦国時代の平城、摂津国に分類されていますので大川の北に位置していたのでしょう。更に、先へ進みますと極楽寺横にも標柱がこちらの方がもっともらしく見えます。極楽寺のお隣にも立派な社「野田恵比寿神社」がありました。

 開扉されている恵比寿神社には、先にご紹介した豊臣秀吉公が大坂城築城の際に放置した石を使った「日露戦捷記念碑」が建っています。その前を横切り拝殿裏に回ると、野田藤の登場です。何やら看板に表示されていますが、詳しくはリンクをどうぞ。松下幸之助の創業の地に近く、氏とも関わりが深いような碑もありました。因みに、東成区玉津二丁目には「松下幸之助起業の地」があります。私の遠い縁者も、その頃に幸之助と一緒にソケットを作っていたと聞いています。

 さて、近くに起点となった病院が見えて来ました。横の下福島公園堂島橋近くの入口から入ると、ここにも野田藤があります。のだふじ食堂でいたわり御膳を食べていた私は、真下の下福島公園の野田藤を眺めつつ食していたと云うことになります。少々遠回りしましたが、何やら落ちらしいところで今席お後がよろしいようで・・・。

 写真:大阪病院とモニュメント、福島天満宮玉川駅野田城標柱、極楽寺標柱、野田恵比寿神社三題、下福島公園内藤棚

 のだふじ
 ひとまわり 城も見付けた 野田の藤 <病山頭火

 *追加写真:松下幸之助起業地碑(生野区猪飼野