河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

小山城界隈

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 お城界隈シリーズになりそうですね。母方で大変お世話になった叔母さんに年越しの挨拶にと伺ったのが、藤井寺市津堂の旧集落です。90歳を超えた叔母は、「近ごろは畑にも行けない」とぼやくほどの元気さでした。知人の工場で作る煎餅をお土産に、来年も又来るからねと挨拶をして参りました。これで、年末の諸々はほぼ終了です。

 土産を買うため八尾東部の煎餅工場に行き、先に立ち寄ったのが津堂城山古墳です。表題のネタばらしから先に言いますと、室町時代にはこの古墳を利用してお城が築かれており「小山城」という名で呼ばれていたことから付近には「小山」という地名が今も残っております。と、云うわけで小山城界隈と表題になったしだいです。小山城から津堂城山になった理由は分かりません。ただ、津堂は摂津へ往き来する道がこの集落付近を通過しているため津「道」が津「堂」になったと古墳脇に表示がありました。ならば、津堂小山城古墳というのが正しい(?)のかも知れませんが、こんな古墳の名の由来など「御勝山古墳」の例を出すまでも無く幾らもあります。

 これから先は、時代軸等を無視した私見です。その摂津と行き来する道というのは「河内街道」等(八尾街道)を指すと思われます。そして、河内街道と大和・堺を往来した「長尾街道」との交点が津堂あたりであるのでは。ちなみに古墳の前方部に登り見渡すと、二上山から葛城・金剛山そして堺方面が一望出来ます。葬られた「大王」に相応しい眺めですし、戦を指揮する城としても持って来いのロケーションです。現代の新しい津堂とも云える高速道路の松原インターチェンジも、東西道(名阪道)と南北道(近畿道)の交点にあり、地理というのが時代を超えた必然性の上に成り立っていると私見の正当性を益々深めます。

 さて落ちです、この日は久しぶりの長距離銀輪行でした。煎餅屋さんへの前にはJR志紀駅近くで正月の餅を予約、自宅へも土産の煎餅を背負い幾らかの達成感を持って帰りました。しかし、夕食時に「私も少し飲む・・」と呟かれるまで本日が愚妻の誕生日であると云うことをすっかり忘れていました。煎餅がプレゼントと誤魔化すよりは、認知症と自白した方が良かったかな。

 写真:津堂城山古墳標柱、前方部より、墳丘からのパノラマ、後円部はお宮さんに、いたに萬幸堂煎餅(無償広告)

 正直
 認知症 であることもすら 忘れたり  <偐認知症