今年は聖徳太子1400年遠忌です。聖徳太子にまつわる展示が奈良と東京国立博物館でそれぞれ開催されます。既にご案内したとおり、河内の安福寺で保存されていた夾紵棺が、ほぼ聖徳太子の棺では無いかとの推定のもと、同展示会でも第一展示室で披露されます。
太子道を行くジャンボ聖徳太子(安堵町過年)
これほど大きな人だったら前方後円墳の後円部の石室には納まりませんね。一般的なサイズであろうと云うことで、夾紵棺の断片をもとに復元された棺がこれです。安福寺のある柏原市市立歴史資料館での展示写真。
夾紵棺の再現
その1400年遠忌を記念するように、斑鳩の下水管の蓋がポケモンのキャラクターとなりました。ポケふたと呼ぶそうですが、法隆寺駅前から法隆寺前の間に合計5個のポケふたが設置されました。いわばポケモン太子道ですね。
斑鳩町広報紙より
では、早速ポケふたを巡り現代の太子道を歩いてみましょう。一枚目は「ドータクン バオッキー」という銅鐸が登場です。斑鳩の地で銅鐸が見つかったという話は聞いていませんが、これも洒落とドーラクに聞き流しましょう。駅北出口の車寄せ近くにあります。
ドータクン バオッキー
ここから西に出ますと鉄道のオーバーパスの脇道に出ます。これを北へ向かって数百メートル進むと東公民館につきます。この建物の前にあるのが「マダツボミ ガーディ」というふた。こうなると愚僧にはさっぱりです。
マダツボミ ガーディー
さらに百メートルも進むと大きな薬局の手前に一つ現れました。「ブビィ チリーン」と云うのは風鈴の仏様とでも云いたいのでしょうか。
ブビィ チリーン
次が少し問題のふたなんですが、よく車が通るこの道を横切らねばなりません。少し先の国道25号とのT字型交差点の信号で車が停車するタイミングで渡るという離れ業が必要です。幼児や児童には危ない設計です。ヒア汗をかいて渡った対則には「ヒノヤコマジキジカ」がお待ちかねです。
ヒノヤコマ ジキジカ
ここからは安全に、少し北に進み並松通りに入ると旧道の町並みが続きます。
角に右法隆寺の道標が見えたらそれに従うと、松並木とその奥の法隆寺が見えて来ます。国道の信号に従って渡り、右端の歩道を進みましょう。 法隆寺Iセンターという観光案内施設の北端に上がりのふたが。「エンテイ いかるが」を発見したら、ポケふたの道終点です。
エンティ いかるが
いかがでしたか、ポケモンの世界にひたれましたらそれは素晴らしかったですね。愚僧はここまで来たのですからお寺にもお参りして帰ることに。
中門と五重塔
上記の写真を撮っていたらお坊様から「山内は自転車通行禁止」と苦言を申し渡され候。了解いたしましたと西門へ向けて退散いたしました。10年ほど前までは近在の人も東西を往き来するのに平気で自転車で往来されていましたので、愚僧もその習慣で。時代は変化していますので、致し方ないことです。
西門から山内へご挨拶して退散
西門から「西里」という地区に入ります。1400年ほど前に百済から来られた番匠集団の子孫が住まいされる地区で、故西岡常一さんという有名な大工棟梁の住まいもあります。
山門から西里を望む
少し開けた場所に出ると、左手に藤の木古墳です。少し艶めかしい輪郭は乳房に似ています。斯様なことを述べると「喝」と聖徳太子の弟子のしばき(警覚策励(けいかくさくれい)が入りそうです。
しかし艶めかしい
この位置からの矢田丘陵と生駒峰に架かる曇は、背景がほぼ自然(山か空)ですので非常に気に入っています。
秋のコスモともよく似合います(本学所蔵写真)
ここで一旦駐車場に戻り遅い昼飯。法輪寺前の駐車場は無料開放ですので、サラリーマンの昼寝・昼食タイムでは大変混み合います。ALTO STATION WAGON 660内で持参のお昼飯で蜜は無しですが、少々寂しいメニューですね。
昼飯です
ここまで来たのですから、太子道本来の道筋で上宮遺跡とどこでもドアの再撮影です。どこでもドアは何度もシャッターを切っているのですが、ロングサイズのレンズ付きカメラを失念し続けていますのでピンの合った絵を一枚撮りたい。そして、斑鳩にポケモンが出現したのもこのドアからでは無いかと推測しているので、その痕跡探しです。
上宮遺跡跡には、在原業平の歌碑が「ちはやふる かみよもきかず たった川 からくれないに 水くくるとは」。
業平歌碑
富雄川の土手に出て下るとどこでもドアの掲げられたサッシメーカー斑鳩の工場が見えてきます。このピンクのドアの向こうにポケモンワールドがあり「ドータクン バオッキー」などがやって来たのでしょうね。太子の道もポケモンの道になるんだ。
どこでもドア