河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

大嶽和久(君)を偲ぶ会

 表題の案内状が送られてきました。幾度か紹介していますが、大嶽君は教会学校の同窓生(?)で若草読書会の同人でもあります。彼は箏曲大嶽流家元の子と生まれ、生まれた時から箏を背負った人生を歩んでこられました。自身も努力され周りの期待を実現し、大嶽箏曲学院を主宰されていました。教会学校時代は学齢が違い殆ど会話することも無く過ごしました。愚僧の仕事の関係で2004年に、大和川付け替え三百年記念の楽曲を彼に依頼したあたりからより身近な存在になってきました。
 大和川付記念楽曲「大和川」

 この楽曲は大和川付け替えの恩人中甚兵衛の十代中九兵衛氏の監修を得て作曲されたものです。
 中甚兵衛翁銅像 大和川石川合流地点

 その後2014年には大坂の陣400年を記念した様々な行事が各地で執り行われましたが、中でも大嶽君の楽曲「誓いのとき」は大坂の陣400年事業柏原実行委員会の委嘱を受け、尾張徳川家所縁、大坂の陣戦没者供養塔を祀る玉手山安福寺大崎信宥住職の監修のもとに作曲。大坂の陣で亡くなった人々の想いを偲び、今後の平和への誓いを込めて書かれたもので、曲は 「乱世の平穏」「戦乱」「戦いの跡」「平和への誓い」と4つの部分からなった、壮大な楽曲です。
 初演会場 玉手山遊園地屋外ステージにて

 それから4年、病を得て18年8月に不帰の人となりました。案内状に同封されたご家族の文によると「本来ならすぐ(亡くなって:筆者注)にでも開催すべきでしたが、哀惜の念に堪えずなかなか踏み出すことが出来なかった・・・」とあり偲ぶ会がこの期に及んだと記されています。愚僧も同感、大嶽君とは同じ時に同じ消化器の癌に冒され「ともに生き延びよう・・・」と励まし合いました。同年病を押して開催された彼が率いるグループの演奏会では、舞台袖で「どや、元気やろ」と語った瞳が忘れられません。
 同演奏会 50回目の演奏会が最後のステージとなりました

 祝いの電話を差し上げたら、家族や関係者はコロナ禍での開催に不安を持たれているとお話されますが、愚僧はフルフェースのヘルメットで参上しますと述べると受話器の向こうでクスッと、宜しくとお応え頂きました。開催日時は8月20日(土)午後1時開場、会場は近鉄奈良線若江岩田駅北の「イコーラムホール」入場は無料とのことです。現下の状況で皆様にご参加をとは簡単に云えません、お知らせといたします。

 偲ぶ会案内ちらし 存命なら51回目の演奏家になった